金の無心ばかりの太宰治、マゾっ気たっぷりの谷崎潤一郎…文豪たちの個性豊かな呆れた謝罪文

文芸・カルチャー

公開日:2021/7/27

文豪たちの断謝離 断り、謝り、離れる
『文豪たちの断謝離 断り、謝り、離れる』(豊岡昭彦、高見澤秀/秀和システム)

 人に謝るというのは、なかなか難しい。どうすればしっかり誠意が伝わるか。どう言えば許してもらえるか。そう思い悩んだのは、もしかしたら日本を代表する文豪たちも同じだったのかもしれない。

『文豪たちの断謝離 断り、謝り、離れる』(秀和システム)は、夏目漱石、太宰治、石川啄木、島崎藤村など、文豪12人の書簡を集めた一冊。特に謝罪の手紙は、文豪たちのキャラクターが表れたユニークなものばかり。手紙だからこそ溢れ出る文豪の本音に思わず笑わされてしまう。

これ以上責められない? 哀切に満ちた太宰の謝罪

『人間失格』などの著作で知られる文豪・太宰治の書簡は790通以上残されているが、その多くは、彼の放蕩な生活を反映し、謝罪と借金の懇願の手紙だという。

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「誠に手先凍え、舌、もつれる思ひでございます」
「わが身がふびんで、涙ぐみます」
「羞恥のために、死ぬる思ひでございます」

 あらゆる言葉を使って、金の無心をする姿は、太宰のイメージそのままだ。だが、こんなにいろんな表現で謝られたら、太宰のことを責められなくなってしまいそう。書簡から察するに、太宰の人生はまさに「恥の多い人生」だったのかもしれない。

「忠実な家僕として御使ひ下さいませ」谷崎潤一郎の手紙はやっぱり変態的

『痴人の愛』『細雪』などの作品で知られる谷崎潤一郎といえば、「足フェチ」だとか「マゾ」だとかの「変態」というイメージがつきまとう。手紙でもそれは同様で、特に、松子夫人への手紙の数々には、谷崎の変態性が色濃く表れている。

「御寮人様、何卒御機嫌を御直し遊はして下さりませ。あれから後、毎夜御写真の前にぬかづき、御詫びを申上て居りますのを御聴き遊して下さりませ。」
「心の底の底まで召使ひになりました」
「忠実な家僕として御使ひ下さいませ」

 どの手紙も谷崎のマゾっ気を感じさせられるものばかり。ここまで徹底されると最早あっぱれというかなんというか…。谷崎のイメージ通りの姿に少し呆れてしまうのは私だけではないだろう。

豪快さと繊細さが同居?いろんな手紙が残されている坂口安吾

「カレーを100人前注文した」とか「酔ってお好み焼きの鉄板に手をついた」とかいうような型破りなエピソードが伝えられている坂口安吾だが、実は謝罪の手紙も多く残されているらしい。たとえばこんな書簡だ。

「 拝啓 貴兄から借りたお金返さねばならないと思って要心してゐたのですが、ゆうべ原稿料を受取ると友人と会ひみんな呑んでしまひ、今月お返しできなくなりました。大変悲しくなりましたが、どうぞかんべんしてください。
 小生こんど競馬をやらうかと思つてゐますよ。近況お知らせまで。」

 こんな手紙を金の貸主に送っても火に油を注ぐだけのような気がするが…。一方で、安吾はまた別の人にこんな手紙も書いている。

「あの小説の悪評を許して下さい。(中略)愚作の為めに、居ても立つてもゐられない。苦しくて苦しくて実に苦しい。」

 作品の出来について悩み苦しむ姿は、安吾の意外な一面だ。坂口安吾はもしかしたら、豪快さと繊細さが同居するような人柄だったのかも。手紙は文豪のいろんな姿を教えてくれる。

 文豪といえど、所詮は人間。偉大な面ばかりではなく、ダメな面もあるのだ。そんな文豪たちの姿を知るにつれて、彼らのことがますます好きになってしまう。文豪好き・文学好きはもちろん、「謝るのはどうも苦手」という人も、文豪たちの謝罪文を楽しんではいかがだろうか。

文=アサトーミナミ

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