行方不明の父、未完の『銀河鉄道の夜』、書きかけの小説から何を見出すのか? 2020年夏が舞台の島本理生さん最新作とは

文芸・カルチャー

公開日:2021/7/28

星のように離れて雨のように散った
『星のように離れて雨のように散った』(島本理生/文藝春秋)

 愛してるって、どういうこと? と聞かれて明快に答えられる人なんて、果たしているのだろうか。ましてや一年つきあった彼女に「愛してる、結婚しよう」と言ったあと、YESでもNOでもなくそう切り返されたら。たいていの人は、答えるより先に傷つくんじゃないかと思う。自分の気持ちを疑うのだろうか、それとも彼女自身が自分をそれほど好きじゃないからそんなことを言うんじゃないか、と。島本理生さんの最新小説『星のように離れて雨のように散った』(文藝春秋)の主人公・春の恋人もそうだった。穏やかにじっくり紡がれてきたはずの2人の関係は、恋人・亜紀のプロポーズをきっかけに、少しずつ歪んでいく。

 島本さんの描く女性主人公たちは、いつも少し、閉じている。つきあっている男性や家族の弱さや狡さを否定することなく、どうにか受け入れようともがいているから、一緒にいると許されているような気持ちになるけれど、でも、決して内面に深く立ち入らせることはない。否定はされないけど、あと一歩のところで拒絶される。そのもどかしさがときに暴力性をともなって爆発し、主人公たちを傷つけるのだろう。そしてその傷の積み重ねが、ますます彼女たちを閉ざしてしまうのだ。春もまた、過去に失踪した父や父に付随するもろもろで受けた傷から、他者からの愛を信用することができずにいた。

〈結婚したいという心は美しいのに、結婚はなんだか厳罰のようだ〉と春は思う。亜紀と一緒にいたい。想いを寄せられて嬉しいし、安心する。だけど愛されているかどうか不安になる亜紀に対して〈同じ分だけ返さないことで一方的に愛される関係を固定しようとしている〉のは、春もまた不安だからだ。〈恋愛相手なら、肉体的に重なることですべてを受けいれられたように錯覚して、簡単に混ざり合えてしまう〉けど、家族となり、その関係に制約が生まれたとたんそれは壊れてしまうかもしれない。自分と相手の信じるものに決定的な違いが見えたとき、自分も相手も立ち直れないくらい、傷ついてしまうかもしれない。だからといって、相手の信じるものに身をゆだねて染まれば、それでいいのだろうか。相手を傷つけないため、失わないための受容は、果たして本当に“愛”なのだろうか?

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 大学院生の春が修士論文のテーマに選んだ『銀河鉄道の夜』と宮沢賢治の宗教観。もう一つの修士論文として書きかけている、未完の小説。その2つを通じて春は、向き合うことを避けてきた過去の出来事と想いに向き合っていく。自分が何に悲しみ、怒りを覚え、そして何を求めていたのか。父は家族以外の何を信じて、いなくなってしまったのか。まるで違う“かみさま”を信じる人と人とがともに生きていくためには、いったいどうすればいいのか。バイト先の作家や同級生たちに触発されながら、『銀河鉄道の夜』をよりいっそう深く考察し、揺らぎながらも“愛”と“信じること”への答えを導きだしていく過程には、これまでの島本作品とは一味ちがう祈りが描かれている。読み心地はたしかに島本理生なのに、何かが違う。その“何か”はぜひ、読んで自身で確かめてみてほしい。

 なお、舞台となるのは2020年夏のコロナ禍で、読みながら同じ年を舞台にした前作『2020年の恋人たち』の主人公・葵を思い出した。これまで島本作品で作品同士のリンクを意識したことはなかったが、あの夏、同じ場所で、まるで違う2人の女性が、違うやり方で自分の人生を生き抜こうともがいていたのだと両者を並べて思った。そして春や葵だけでなく、同じ空の下で、祈るような想いで大切な人との関係を模索している誰かがいるのだということを。その“誰か”には、私もあなたも含まれる。そんな誰しもに読んでほしい小説である。

文=立花もも

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