“激戦の地”で戦った、名もなき兵士たちの物語『ペリリュー』

マンガ

更新日:2021/8/13

ペリリュー 楽園のゲルニカ
『ペリリュー 楽園のゲルニカ』(武田一義:作、平塚柾緒[太平洋戦争研究会]:原案/白泉社)

 5年にわたって「ヤングアニマル」に連載された『ペリリュー 楽園のゲルニカ』(武田一義:作、平塚柾緒[太平洋戦争研究会]:原案/白泉社)が11巻で完結した。いつ終わるともしれない戦いが、ようやく終わった。

 物語は太平洋戦争の真っ只中、フィリピン諸島の東に位置するパラオ共和国のペリリュー島での出来事が描かれる。この島は当時日本の委任統治領であったが、1944年9月15日早朝にアメリカ軍が上陸、約2ヶ月にわたる壮絶な白兵戦へと突入した。その後軍上層部から玉砕を禁じられ、持久戦を強いられた日本の兵士たちは洞窟に潜んでゲリラ戦を展開。なんと1945年8月15日に日本が無条件降伏した後も戦闘が1年以上も継続した“激戦の地”だ。

 主人公は茨城の水戸出身、メガネをかけ、絵を描くのが何よりも好きな青年、田丸均一等兵だ。田丸は上官から功績係(戦死した人の軍功、つまりどれほど勇ましく敵と戦って死んだのか最後の勇姿を記録する仕事)を命じられ、死んでいく仲間たちを看取っていく。

advertisement

 キャラクターは3頭身のため一見コミカルだが、描かれる戦闘は生々しく、傷を負った兵士や死んでしまった兵士も容赦なく描かれる。手足が吹っ飛び、肌は炎で焼けただれ、傷口には蛆が湧き、極度の栄養失調による病死や餓死、自決するシーンもある。ストーリーからは戦争と人間の愚かさや虚しさ、そして哀しさが溢れ、幾度となくページを繰る手が止まる。新刊を購入してきても気持ちが整わず、しばらく置いておくこともあったほどの過酷な展開だった。特に物語の中盤で終戦を迎えて以降、彼らはいったい何のため、誰のために戦っているのか、さらにはいつ、どうやって戦争が終わるのか、心配でならなかった。

 5年前、1巻が出版された際、私は「田丸は生き延びて、祖国から遠く離れた南の島での絶望的な戦いをマンガにして伝えるのだろうか? いずれ描かれるであろうエピソードに期待し、田丸たちの運命がどうなるのか、最後まで見届けたい」とレビューに記した。

 その答えはぜひ11巻を読んでもらいたい。11巻には1巻と同じコマ、同じ登場人物が描かれ、物語は時代と世代を超え、大きな環を描いて終わっていく。田丸は7巻で「たとえ誰に どんな秘密があっても どんな夢があっても 死んだらそこで 終わってしまうんだ」というモノローグを発していた。おびただしい死の中でその強い思いがどう結実したのか、ぜひ見届けてほしい。

 また「副題の『楽園のゲルニカ』とは何を意味するのだろう。『楽園』について、ペリリューの島民はインフラなどが整っている日本を楽園だと言い、田丸は美しい自然に囲まれたペリリューこそが楽園に思えると本書で言っている。そしてゲルニカとはスペインの地名であり、1937年にドイツ軍による都市無差別爆撃で街が壊滅したことに怒りを覚えたピカソによって描かれた絵画『ゲルニカ』で有名だ」という疑問もあったが、これは最後まで読み進めたことで、その意味を理解できたように思う。

 楽園に住まう者は、そこが楽園であることを忘れてしまう。失って初めて、楽園であったことに気づくのだ。しかし失ってからでは遅い。取り返しがつかなくなる前に、そして時代や空気に流されないようしっかりと足元を見つめ、自分のできることを探さねばならない。またピカソの『ゲルニカ』(※)は1937年にパリ万博で発表されたが、当初は政治的な理由や斬新な描き方に不快感を持つ人もいて不評だったという(後に世界中で展示されて評価が高まり、反戦のシンボルとなった)。世の中に様々な問題があるとはいえ、平和な時代に送り出された『ペリリュー 楽園のゲルニカ』は連載当初から注目を集め、数多くの賞を受賞、現在はアニメ化やスピンオフとなる外伝も執筆される予定だという。

 しかし物語はこれで終わりではない。我々には戦争の悲惨さと愚かさを知り、次の世代へ伝えていく使命がある。戦争を知らない者が戦争を語るな、という時代はもうとっくに終わっている。物語を通じて戦争を知り、二度と起こしてはならないことを伝えていかねばならない――そう強く感じる、全11巻の物語であった。

文=成田全(ナリタタモツ)

※ピカソの『ゲルニカ』はこちら(ソフィア王妃芸術センター “RETHINKING GUERNICA”)で高精細な画像を見ることができる。

あわせて読みたい