日本に広がる「共感中毒」の正体は? 紛争地で元テロリストと向き合う活動家が迫る、共感の闇

暮らし

公開日:2021/8/12

共感という病
『共感という病』(永井陽右/かんき出版)

 思いやりや人と人のつながりを生むものとして尊重される「共感」。ただ、この共感という言葉にちょっと気をつけたほうがいいと、我々は薄々気付き始めているのではないだろうか。災害のたびに引っ張り出され、その美しい響きがいろいろなことをチャラにする「絆」という言葉。不倫やいじめを知った第三者から加害者に向けられる異様なバッシング。弱者が頑張る姿にみんなで涙する、「感動ポルノ」と揶揄されるコンテンツ。何かが歪んでいると感じるこれらの事柄の背景には必ず、誰かの誰かに対する共感があるからだ。

 共感をめぐるこの違和感の正体に迫るのが、紛争解決活動家の永井陽右氏による著書『共感という病』(かんき出版)だ。著者は、NPO法人アクセプト・インターナショナル代表理事で、ソマリアなどの紛争地における元テロリストの社会復帰支援や、テロ組織との交渉・投降の促進に従事している人物。困窮する子どもや女性、難民の支援を行う団体が多い中、彼らが対象とするのは殺人を犯した元テロリストやギャングたちだ。世界でも共感されにくい加害者であるテロリストの更生、そして共感が及ばないがゆえに生じる紛争の解決という課題に直面する著者が、共感を軸に、日本でも生じている分断や人権侵害の問題に切り込んでいる。そのテーマはシンプルに言うと、過激な元テロリストや、ギャンブルに失敗してすべてをなくした人など、一般的には共感されない人を我々はどうすれば助けることができるのか?という問題だ。

 著者は、社会に対して大きなムーブメントも起こしうる共感の意義を強調しながらも、自らの経験から、共感の射程外にいることでサポートを受けられない人がいること、共感が過激な暴力や分断を生んできた現実を伝える。社会運動においても、煽情的なコピーやビジュアルで同意や寄付を得ようとする意図が働いているという。SNSや現実の社会においても我々の共感が利用されていることや、共感への依存によって起きているさまざまな問題を指摘。共感に関する世界の研究や、死への恐怖に対処するため学んだという哲学の知見もふまえて、負の側面も抱える共感の特性を知った上で、共感と冷静に、うまく付き合う知恵を読者に与えてくれる。

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 本書の特徴は、著者が共感の問題を考える途上であると伝わることだ。俳優でアクティビストの石川優実氏や神戸女学院大学名誉教授の内田樹氏との対談も掲載されているが、対話の中で著者は、考えを一度止めたり、巻き戻したり、発展させたりしていく。その対談も挟んだ1冊は、著者の考えに読者も並走できる作りになっている。著者は本書の中で、共感依存に陥らないためには、「理性を働かせること」「考えること」が大切だと強調するが、まさに本書は読者に深く、多角的に考える体験を与えてくれる。

 紛争地で身を賭して仕事をしながら、共感や倫理の問題を考え続ける著者は、「基本的に人はわかりあえない」と言う。白か黒か、右か左かをはっきりさせる必要はない。人は共感されなくても、つながってなくてもいい。相手が不快な存在であっても、理性で感性をコントロールして、手を差し伸べるしかない。彼が現時点で出した答えはドライにも受け取れるが、読者が共に考える過程を経るからこそ、重く心に刺さる。

 そんな言葉を通じて読者は、途方もなく難しい社会課題に挑む著者の問題意識を、自分の現実から遠いものではなく、自らのテーマとして感じることができる。共感に安易に流されずに、自分の周りの小さな世界を良くしていく方法に思いを巡らせたくなる1冊だ。

文=川辺美希

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