夏休み限定の疑似家族の物語。とある女性と小学生とボクのひと夏――燃え殻『これはただの夏』

文芸・カルチャー

公開日:2021/8/15

これはただの夏
『これはただの夏』(燃え殻/新潮社)

 文章がイケメン――燃え殻さんの著作を読むといつもそう思う。キザで気取った言い回しを嫌味なく多用し、ここぞという場面で気の利いた台詞を発してみせる。ちょっとハードボイルドが入っているのもポイントだろう。そして、顔文一致とでも言うべきか、実際の燃え殻さんも伊達でいなせでシブい二枚目。気になる方は画像検索してみてほしい。そんな燃え殻さんの新刊『これはただの夏』(新潮社)は、テレビ局の下請け会社で働く〈ボク〉の、ひと夏の出会いと思い出を焼き付けたような物語だ。

 知人の結婚披露宴で出会った優香、同じマンション住む小学5年生の明菜、仕事の先輩で悪友でもある大関。ボクが対峙する3人は皆、それぞれに複雑な事情を胸の内に抱えている。優香は五反田の売れっ子風俗嬢だし、明菜はカタギとは思えない母親から既に独立している。大関は末期がんで病床に臥しており、余命はいくばくもないという。

 明菜とボクがモスバーガーで食事を摂っていると、優香が颯爽と赤ワイン色のロードスターに乗ってきて、自然に会話の輪に加わる。明菜は優香になついているし、ボクもふたりと良好な関係にある。さらに、香水とアルコールの臭いのする明菜の母が、3日間家を空けるから、何かあったらボクを頼るようにと言う。ボクと明菜が闘病中の大関を訪ねるシーンも印象的。こっそり病院の屋上に入り込んで3人は束の間の解放感を味わったりする。そんな風にして、3人はお互いの距離を縮めてゆく。

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 3人は血は繋がっていないけれど、いや、繋がっていないからこそ、ゆるやかな連帯感を共有するようになる。3人が一緒にいられるのはあくまでも期間限定。子供たちの夏休みがそうであるように、あっけなく、あっという間に物語は終わる。だからこそ、3人が市民プールではしゃぎまわるシーンは刹那的な輝きを放つ。『そして父になる』や『万引き家族』のような、いわゆる疑似家族ものの映画を連想する人もいるだろう。

 3人の会話もまた、先述したようにイケメンであり、なおかつ説得力のある箴言が多数含まれている。優香は日々の暮らしを顧みて〈上空一万メートルの天の声に言われている気がするの。あなたは人間に向いてませんでした、おしまいって〉と話し、ボクは〈向いている人なんていないよ。向いているフリがうまい人と、向いているフリが下手な人がいるだけだよ〉と返す。

 また、ボクが漏らす〈世の中は理不尽で不平等。神様がいたとしたら、かなりテキトーな人だよ、きっと〉という台詞は、歌人の枡野浩一氏の〈神様はいると思うよ 冗談が好きなモテないやつだろうけど〉という短歌ともダブる。まわりの大人と自然に付き合っている明菜を見て、優香は〈私さ、人生って何度でもやり直せるとは思ってないけど、何度かはやり直せそうな気がしてるんだ〉と言う。やはりイケメンな会話なのだった。

 本作に登場する人物は、それぞれになんらかのややこしい事情を抱えている。だが焦点を当てられるのは、明菜の母が不在の3日間。濃密であっという間だった日々を振り返る間もなく、物語は終わる。

 この書評を予め読んでいても、ラストシーンは読者に深い余韻を残すだろう。再び枡野浩一氏の短歌を引くと〈終わったとみんな言うけどおしまいがあるってことは素敵なことだ〉という作品がぴったりくる。あるいは、〈ハッピーじゃないエンドでも面白い映画みたいに よい人生を〉という作品もハマるだろう。筆者は枡野氏の一連の短歌をBGMのように聞き流しながら、燃え殻さんの文章に酔いしれた。

 線香花火があっという間に、あっさりと消えるようにエンディングを迎える物語。燃え殻というペンネームが、これ以上しっくりくる作品もないのではないだろうか。

文=土佐有明

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