もし「この世界は何ものかが創ったものだ」と証明されてしまったら――『嫌われ松子の一生』著者最新作『存在しない時間の中で』

文芸・カルチャー

更新日:2021/10/1

存在しない時間の中で
『存在しない時間の中で』(山田宗樹/角川春樹事務所)

 新型コロナウイルス感染症の影響で延期された東京五輪・パラリンピックが終わった。観戦チケットに当選した友人、インバウンドを当てこんだ飲食店の経営者からは、何度も「コロナさえなかったら」という言葉を聞いた。五輪を離れたところでも、人のぬくもりを感じることはいまだ感染の危険と背中合わせで、連れ立って食事に行くことすら難しい日々が続いている。

 世界は、コロナ禍による変容を余儀なくされた。だからこそ、ふと考えることがある。「コロナさえなかったら」、わたしたちはこの2年弱、どんなふうに生きていただろう──そんな気分に見事に応えてくれるのが、『存在しない時間の中で』(山田宗樹/角川春樹事務所)という小説だ。

 一人の人間を数式に置き換えることが可能だとしよう。そして、あなた自身に関して、あなたが知っているすべての情報をもとに、一連の数式を組み上げたとする。(中略)
 ところが、あなたは妙なことに気づく。
 この数式の時間変数に未来の時間を入力すると、あなたの未来のことまで計算できてしまうようなのだ。(中略)時間が経つと、数式の予言していたとおりのことが、あなたの身に起こる。(中略)
 あなたは当惑するだろう。
 この数式は、なぜ、あなたの知らないことまでわかるのか。
 なぜ、あなた以上に、あなたのことをよく知っているのか。(中略)
 そして、ついにコペルニクス的転回が訪れる。
 あなたの情報からこの数式が生まれたのではなく、この数式をもとにあなたという存在が作られたのだとしたら。(中略)
 そう考えれば、すべてをきれいに説明できる。あなたの数式が、あなた以上にあなたのことを知っているのも、当然だった。もともとは数式のほうがオリジナルなのだから。
 しかし、その場合、あなたという存在は、なんなのだろう。

 主人公の平城アキラは、大学のキャンパス内にある天文数物研究機構の研究員。そこには世界各国から100名以上の研究者や大学院生が集い、宇宙の仕組みなどの根源的な疑問に答えるべく研究に取り組んでいる。平城ら若手の研究者は、研鑽のために、最先端の理論物理学、数学、天文学などを学びあう自主セミナーを運営していたが、ある日、そのセミナーに奇妙な闖入者がやってきた。少年の面影が残る、爽やかな笑みを浮かべた青年である。

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 戸惑う平城たちを後目に、彼はホワイトボード23枚に及ぶ数式を書き連ね、忽然と姿を消した。彼が書き残した数式は、セミナー内で物議を醸した。それが人類の宇宙観を一変させかねないものだったからだ。その数式が示すものは、この宇宙の設計図を描いた〈何者か〉、つまり、宇宙を創造した〈神〉が存在する可能性であった。

 手の込んだジョークだと看過することもできないこのできごとは、世界で同時多発的に起きていた。この宇宙を設計した〈何者か〉が存在し、人類との交信を望んでいる。その存在を受け入れる準備ができたという、人類からの合図を待っている。とある高名な理論物理学者が立てたこの仮説を検証するために、彼の呼びかけで、全世界の人々を巻きこんだ実験が行われることになった。協定世界時7月1日16時、日本時間の7月2日午前1時、〈神〉の実在を証明すべく実行されたその実験以降、人類の“現実”は、大きく変容することになる──。

 わたしたちの暮らしは、目には見えないウイルスの脅威により激変した。わたしたちはコロナ禍に際し、生活習慣を変え、働き方を変え、みずからの価値観を見直して、この約2年を生きてきた。たとえば昨年、もしも世界に感染症が蔓延していなければ、今日のわたしはいなかっただろう。別の生き方、考え方をするわたしがいたはずだ。選べなかった/選ばなかった人生は、現実には存在しない。それゆえに、ささいな選択、大きな決断をひとつひとつ積み重ねた果てに生きる今日が、愛おしく尊い。未来とは、今の自分の選択ひとつで、無限に変容していくものにも見えてくる。

『嫌われ松子の一生』(幻冬舎)、『百年法』(KADOKAWA)の著者による本作は、コロナ禍に対する文芸のひとつの“解”ではないかとわたしは思う。時代に翻弄されながらも人間が今日を生きる意味、コロナ禍における新しい文芸の楽しみを、あなたはこの作品の読了時、きっと「体感」するに違いない。

文=三田ゆき

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