才能やセンスがなくても数学はできますか? 数学オリンピックを目指すスポ根(?)マンガ『数学ゴールデン』で数学の本質を学ぶ

マンガ

公開日:2021/10/2

数学ゴールデン
『数学ゴールデン』3巻(藏丸竜彦/白泉社)

 数学オリンピックを目指す高校生たちの青春マンガ『数学ゴールデン』(藏丸竜彦/白泉社)の3巻が発売された。主人公の小野田春一は、1巻の時点ではクールでストイックな印象を受けたが、回を重ねるごとに愚直さを増していく。周りについていけない焦り、天才の領域にあと一歩で及ばない悔しさに、春一は涙を流し、唇を噛み、汗をかく。やっているのが数学であると忘れかけるくらいにスポ根マンガめいてきた。

 春一が歯を食いしばって愚直に数学と向き合う一方で、ヒロインの七瀬マミの立ち位置も大きく変化した。1巻の頃は、春一に絡む強烈な変人で、あるのは数学を愛する気持ちただひとつ。回答の書き方すらハチャメチャだった七瀬だが、2巻、3巻と数学オリンピックに向けた特訓の過程でめきめきと頭角を現す。七瀬と自分との差をこれでもかというくらい突き付けられる春一。やはり天才には敵わないのだろうか。

 数学が苦手だった私からすると、数学というのは音楽やスポーツと同じで努力だけではどうにもならないジャンルだと思っていた。いや、今も思っている。暗記をすればしただけ、頑張った分だけ必ず点数が上がる文系科目と違って、数学は頑張ったところでわからないものはわからなかった。あまりの難解さに、選ばれし天才のみに許された学問だとしか思えなかったのだ。そして、数学が苦手な人が一度は言ったことがあるであろうセリフ「こんなの勉強しても将来の役に立たない」と文句を言い、数学について考えるのをやめた。

advertisement

 ところが実際は「数学が将来の役に立たない」は嘘である。世の中の様々な仕組みに、数学は活用されている。3巻でも、新幹線の座席の並びの法則について数学で解説されていて――解説されたところでよくわからないのだけど――ともあれ、こういった身近なものに使われている数学がわかると、生きていて面白いだろうなと思う。なにせ、新幹線の座席という思いもよらないところに数学が隠されているわけだ。数学をわかっていると、他の人よりも世の中のものを見る視点が多いということ。それは少し羨ましい。

数学ゴールデン p.4

数学ゴールデン p.5

数学ゴールデン p.6

数学ゴールデン p.7

数学ゴールデン p.8

数学ゴールデン p.9

 数学ができる人に備わっている(と私が思う)もの。ひとつには、問題の解法を閃く発想力。もうひとつには、公式を使いこなす応用力。そして、答えがわからなくても考え続ける根気。そのいずれも私には欠けていた。『数学ゴールデン』を読むと、数学が好きな人が「解けたときの快感」に酔いしれ、その喜びゆえにどんな難問にも挑戦したがるというのが痛いほどに伝わってくる。だが、数学苦手を代表して言いたい。我々からしたら、そのゴールがあまりに遠すぎて、途中で考えるのをやめてしまうのだ。根気が続かないのだ。「解けたときの快感」よりも、「解けない間のしんどさ」が勝るから、人は数学に苦手意識を持つのである。そういう人は、どうすればいいのだろうか。そのあたりも今後の展開の中で読めたら嬉しい。

 主人公の春一は、数学オリンピックを目指す“怪物”たちの中では、悲しいくらいに平凡である。もちろん、数学オリンピックの特訓に多少なりともついていける程度には数学ができるわけなので、世間的には「数学が得意な人」ではあるのだが、数学オリンピックの世界はレベルが違う。怪物のような天才的発想力を持たない春一は、3巻で「数学的センス」とは何か、に向き合う。

「数学的センス」がなくても、数学に立ち向かえるのか。才能がなくても、後天的に努力で「数学的センス」は養えるのか。数学は誰もが楽しめる可能性を秘めているのか。小野田春一の挑戦を見届けたい。

文=朝井麻由美

あわせて読みたい