心臓外科医の葛藤を通して命と医療の意味を問う! 柚月裕子最新作『ミカエルの鼓動』

文芸・カルチャー

公開日:2021/10/15

ミカエルの鼓動
『ミカエルの鼓動』(柚月裕子/文藝春秋)

『検事の本懐』『孤狼の血』『慈雨』『盤上の向日葵』など、話題作を次々と発表する人気作家・柚月裕子の最新作『ミカエルの鼓動』(文藝春秋)は、著者が初めて医療を題材にした長編作品だ。

 物語の舞台となるのは、北海道トップの病床数を誇り、最先端医療を展開する北中大病院。この病院では全国に先駆けて手術支援ロボット「ミカエル」を導入し、その活用を推進している。それをリードしているのが、心臓外科医の西條泰巳だ。日本国内で初めてミカエルを使った心臓病手術を成功させ、マスコミからも注目を集める西條は、病院長の曾我部一夫から次期の院長就任もほのめかされていた。ところが、曾我部は唐突にドイツから真木一義という心臓外科医の招聘を決定する。真木は従来通りの開胸手術の技術で世界的に評価されており、そのメスさばきのスピードと正確さは西條をも驚かせるレベルのものだった。西條は疑念を抱く。ミカエルがあるのになぜ真木を呼び寄せたのか? やがて、西條と真木の信念、価値観の違いは、ある対立を生み出すことになる。

 読者をすぐに物語に引き込むのは、緻密な取材に基づいたであろう医療現場のリアリティ、深みがあって魅力的なキャラクター造形の力だろう。主人公である西條は、最先端技術による平等な医療の実現を目指す野心的な医師。自分の仕事と技術に自信と誇りを持ち、医師としての将来も順風満帆のはずだった。しかし、腹に一物を抱えていそうな病院長・曾我部の不可解な人事、態度の変化に西條は少しずつ揺らいでいく。この曾我部という人物が見せる大学病院の“政治”の実態もまたなんとも生々しい。

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 何より西條を揺るがすのはドイツ帰りの心臓外科医・真木の存在だ。天才的な技術の持ち主ながら出世にはまったく興味がなく、周りに笑顔を見せることすらない。ただ、患者の命を救うことだけを常に考えているような男だ。そんな真木と西條は心臓に難病を抱えた少年・白石航の手術をめぐって対立する。あくまでミカエルを使ったロボット支援下での手術にこだわる西條に対し、真木は従来の術式による開胸手術を主張。果たしてどちらが手術の執刀を務めるのか。

「命の前では、誰もが平等だ」

 西條と真木はそんな信念を共有していながら、その平等についての考え方が異なる。お互いの技量を認め合いつつも激しくぶつかるふたりの関係は、いわゆる“ライバル”が好きな人ならたまらなく熱くなれるはずだ。

 さらに、ミカエルに関して北中大病院と西條の未来に重大な影響を及ぼしかねない疑惑が浮上してくる。西條は航の手術をめぐる対話とミカエルの疑惑を追う中で「命を救うとはどういうことなのか」という問いに直面し、医師として葛藤する。そして物語は西條と真木の過去へ。ふたりの歩んできた人生、医師を志した動機をたどることで“生命の根源”にまで迫っていく――。

 こうした命と医療をめぐるドラマチックなストーリーはもちろん、手に汗握る緊迫感に満ちた手術シーンも本作の大きな読みどころだ。小説ならではの表現でディテール豊かに描かれるアクションシーンさながらの術式は実にスリリング。そこから心臓という命を司る臓器の神々しさが立ち現れるシーンは、本作の大きなクライマックスになっている。

 読書の秋、読み応えのある重厚なエンターテインメント小説を満喫したいという人にはまさにうってつけの一冊だ。

文=橋富政彦

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