夫の死をきっかけに妻が始めた「子ども食堂」。そこに集まる人々の事情とは? 泣けると評判の小説『とにもかくにもごはん』

文芸・カルチャー

更新日:2021/10/27

とにもかくにもごはん
『とにもかくにもごはん』(小野寺史宜/講談社)

何よりも大事なのは、子ども。子どもの一日はわたしたちの一日とはちがうし、子どもの一食はわたしたちの一食とはちがう。それら一日や一食がすべて未来へと続く。

 2019年、『ひと』(祥伝社)が本屋大賞にもノミネートされた小野寺史宜氏の最新刊『とにもかくにもごはん』(講談社)の舞台は子ども食堂。発起人である主人公・松井波子は、始めたからにはやりとげるのだという、確固たる意志のも自分のために、ごはんを食べていると、ボランティアを募って週に2回、子どもたちのために食事をふるまう。大人からは300円いただくけれど、ひとりで食べにきたっていい。住宅街の元カフェで始まったその場所に集まる人々を描いた連作短編集である同作は、泣ける、と評判で発売後まもなく重版した。

 高校生の息子をもつ波子が、子ども食堂をはじめたきっかけは、最近ではほとんど口をきかなくなっていた夫が事故死したこと。その5日前、波子は会社帰りの夫が公園でひとりビールを飲んでいるのを発見した。理由は家の居心地が悪いから、ではなくて、裏のアパートに住む小学生の男の子がパンを食べているのを見かけたから、らしい。父親はなく、夜になると母親は働きに出る。電気が止まっている家より、夜の公園のほうが明るい。だからときどき、ひとりでパンを、食べている。その少年を見守るような気持ちで、公園に立ち寄るようになったのだと。

そんなのこっちの自己満足で、何の解決にもならないことはわかってる。だとしても、マイナスにもならないよ。

 久しぶりに真正面から会話した夫の、言葉だった。それをきっかけに夫婦関係も改善する兆しを見せた矢先、夫は亡くなってしまったのである。

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 ごく普通の家庭に見えても、ごはんを食べられない子どもたちがたくさん、いる。そのことを知った波子の子ども食堂にかける想いはとても立派だし、社会にとって必要なことだとも思うけど、本書を読んでいて「いいな」と思うのは、彼女が決して正義感だけで動いているわけではないということだ。夫の喪失によってぽっかり空いた心の穴を、埋める目的も存分にある。でも、それでいいのだ。「自分のため」と「相手のため」がニアリーイコールになる場所を、懸命に探っていくことができれば、自己満足かもしれなくても、マイナスにはならない。社会全体は変わらないかもしれないけれど、波子の住む町の子どもたちの環境は、ほんの少し変わるかもしれない。

 就活のため点数稼ぎでボランティアに応募した女子大生の木戸凪穂。母の帰りを待つ小学生の松下牧斗に、意地を張りながら牧斗を懸命に育てる母親の貴紗。会わせてもらえない孫の姿を、食堂に集まる子どもたちに重ねる宮本良作。食堂ではみんな、自分のために働いて、自分のために、ごはんを食べている。でも“自分のため”のなかには“自分のしたことを誰かが喜んでくれると、なんかちょっと嬉しい”という気持ちも混ざっていて、その優しさの連鎖が、人と人とのつながりを育んでいく。

仮面ライダーコウト。偏差値六十。そこそこの頭脳を持ったごくごく平均レベルのライダー。だから敵にも勝ったり負けたり。っていうのは、なかなか新しくない?

……というのは波子の息子・航大のセリフだが、偏差値60はなかなかレベルが高いと思いつつ、みんな勝ったり負けたりしながら人生を戦い続けている。人生のほんの一瞬、隣に座るだけかもしれない人たちとかわす、「こんにちは」「いただきます」「ごちそうさま」「ありがとう」「ごめんなさい」「また明日」という挨拶と、温かくておいしいごはんが、戦いで負った傷をほんの少し、癒してくれる。もちろん、読んでいる私たちの、弱った部分も。

文=立花もも

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