ふれることのできないあなたを助けたい――心がぱちぱち跳ねるような純度120%の恋愛小説

文芸・カルチャー

公開日:2021/10/28

君と過ごした透明な時間
『君と過ごした透明な時間』(丸井とまと/メディアワークス文庫/KADOKAWA)

 子どもの頃から習っていたピアノをやめて、手持ち無沙汰な毎日を送る高校2年生の中村朱莉。クラスでどこか超然とした雰囲気を持つ同級生の染谷くんに、心ひそかに憧れている。そんなある日、彼が非常階段から落ちて意識不明の重体となる。事故か、それとももしや自殺か……。茫然とする朱莉の前に、幽体離脱した染谷くんが現れる。

 応募総数1930作品。次世代のエンターテインメントの才能を発掘する「魔法のiらんど大賞2020」で、小説大賞〈青春小説部門 特別賞〉を受賞した丸井とまとさん。「野いちご大賞」や「ボーイミーツガール大賞」などの受賞歴を持つ、青春小説の期待の書き手だ。『君と過ごした透明な時間』(メディアワークス文庫/KADOKAWA)は、恋のときめきと切なさに心打たれるラブストーリーだ。

 朱莉が染谷くんを意識するようになったきっかけは、ピアノの演奏を褒められたことだった。昨年の合唱祭で伴奏をした朱莉のピアノの音が、とても綺麗だったと彼は言う。

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「俺、中村さんのピアノが好きなんだ」

 その一言が朱莉の胸に、朱莉自身も驚くほど深く沁み込んだ。自分にはピアノの才能がない。その事実に気がついて、半ば逃げ出すようにしてやめてしまったピアノ。あんなに好きだったはずなのに、今はピアノにふれることすら避けている。そんな痛みを持つ朱莉にとって、染谷くんのその言葉は救いのように響いただろう。

 そうして彼もまた、自分に絵の才能がないことに悩んでいた。コンクールに応募しても落選続きで、そろそろ進路について考えなければいけない時期に差しかかり、絵を描き続けることに迷いが生じていた。自分と同じく才能の有無に苦しめられている染谷くんに、朱莉は何かを感じとったのかもしれない。彼女は彼の絵に惹きつけられる。とりわけ透明なラムネ瓶を描いた絵に。

“幽霊”になった染谷くんには、転落する少し前の記憶がすっぽりと抜け落ちていた。自分はなぜ非常階段にいたのか。どうしてそこから身を投げたのか。事故の真相を明らかにしたら、彼の魂は本体である身体に戻ることができるかもしれない。そう考えた朱莉は、染谷くんの失われた記憶を探すことにする。かくして恋愛小説にミステリー的な要素が加わり、読者の興味を引きつけて離さない。

 朱莉以外の人間には染谷くんは見えない。朱莉にしても彼を見て、言葉を交わすことはできるけれど、接触はできない。好きな人と行動を共にする喜びと、ふれることのできないもどかしさ。このままずっと幽体の彼と一緒にいたい気持ちと、早く彼を本来あるべき肉体に戻してあげなくては……という正反対の思いが入り混じる。その葛藤に朱莉は心をじりじりさせられるが、それは同時に彼女を成長させもする。

 そう、恋は人を成長させる。相手を知ることで自分自身を知っていく。

 部活動や家庭環境で、染谷くんが人知れず抱えていたつらさに朱莉は気づき、彼に寄り添う。少しずつ、少しずつ2人の距離は縮まってゆき、とうとう染谷くんが転落事故の詳細を思い出す瞬間がやってくる。だけどそれは、朱莉と彼のこの関係が終わってしまう瞬間でもあった。

“恋をしてから時々炭酸のように心がぱちぱちと跳ねる感覚がする”

 作中で朱莉がこう感じるように、読んでいるこちら側まで彼らが育む切々とした恋愛に、胸がぱちぱち跳ねてくる。そして爽やかな未来がきっと待っているだろうラストシーンの多幸感が――たまらなくいとおしい。

文=皆川ちか

君と過ごした透明な時間
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