野村克也氏は、沙知代夫人が亡くなった後の1年間、“最後の話し相手”に何を語ったのか?

文芸・カルチャー

更新日:2021/11/5

遺言 野村克也が最期の1年に語ったこと
『遺言 野村克也が最期の1年に語ったこと』(飯田絵美/文藝春秋)

 2019年。僕(筆者)は神宮球場で野村克也氏がバッターボックスに立つ姿を見ていた。この日、東京ヤクルトスワローズ球団設立50周年記念「スワローズドリームゲーム」という、野村監督率いる野村ヤクルトVS.若松ヤクルトのスワローズOB戦が行われていた。

 そこで監督時代に野村氏の元で活躍した古田敦也氏と真中満氏に支えられ、野村氏がバッターボックスに立ち、そしてバットを握っていた。

 その日から遡ること28年前。野村氏がヤクルトスワローズの監督に就任して2年目の1991年、僕は東京ドームのレフトスタンドで野村監督が率いるスワローズの試合を見ていた。いまでは有名になったスワローズ監督就任時の言葉、「1年目には種をまき、2年目には水をやり、3年目には花を咲かせましょう」がそのまま形となった。

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 9年間ものあいだリーグでBクラス(4位以下)だったスワローズを2年目にAクラスの3位へと押し上げたのだ。そしてキャッチャーの古田敦也氏が捕手として野村氏以来2人目となる首位打者を獲得。この1991年がスワローズ黄金期の始まりだった。そして僕はスワローズに、いや“野村克也の野球”に魅了された。

 それから毎シーズン、行ける限りスワローズの本拠地である神宮球場へ足を運んだ。ある週末、試合開始までまだ時間がある午後、神宮球場の周辺を歩いていると、スワローズの選手たちが野外練習場から神宮球場へと移動していた。それに気付いたファンたちが選手たちに声を掛けながら握手を求めていた。その賑やかな集まりから少し間を開けてコーチ陣たちが続いて歩いてきた。そこに野村監督がいた。間近で見る野村監督は身長もあり、ほかの野球選手にはない迫力を感じた。それでも僕は声を掛けられる距離にいた野村監督に握手をしようと勇気を出して手を伸ばした。なんと言って声を掛けたかは忘れてしまったが、僕の手を力強く握り返してくれた監督の手は大きくて分厚く、そしてとても堅かった。

野村のもとに駆け寄った私は、その両手をつかむと、グイグイ揺さぶった。ふっくらと分厚くて大きい、お陽様のもとで日々、練習や試合に明け暮れて茶色く染まった手は、まるでグローブのような、熊のような……。しかし、そこにいつもの温かさは無なかった。ガサガサと破れそうな皮膚の質感が悲しくて、その両手を必死でさすった。

 野村氏の番記者であり、長年深い交流があったサンケイスポーツの記者・飯田絵美氏の『遺言 野村克也が最期の1年に語ったこと』(文藝春秋)には、妻・野村沙知代の葬儀の際に野村氏の両手に触れたときについてこのように記されていた。読者である僕は、野村監督と握手をしたときの思い出が蘇った。

 本書には、あれだけ注目を浴びてきた野球人と同一人物とは思えぬほど寂しげな野村氏がいた。相手の心理を読み、巧緻に富んだ野球からは想像もできないほど、人との付き合いが不器用で、自己評価は低い素の野村氏の姿が映し出される。すでに球界ではその功績と実績から野球界だけでなく、様々なところから尊敬を集めていたにもかかわらず、本人は「なーんもすることない」、毎日家でテレビを見るだけの日々。そんな野村氏を半ば強引に外へと連れ出したのが、スワローズ監督時代に番記者となったものの野村氏から無視され続けた著者であった。現役時代の記者たちとの“同窓会”、教え子たちとの“同窓会”、王貞治氏、長嶋茂雄氏との関係、そして息子・克則と、前妻とのもう一人の息子。

 亡くなるまでの最期の1年、野村氏から見て著者は娘ほど年が離れているにもかかわらず、親子というよりは、息子と母のような関係に見えてくるから不思議だ。若くして父を戦争で亡くした野村氏は病気を患う母を支え続けた。野村氏にとって人生で誇れるものといえば母。感謝してもしきれないと語っていた。野村氏は著者に母を重ねて見ていたのだろうか。

「オレには人望がない」といいながら、スワローズ時代には一度も褒めたことがない教え子たちとの同窓会で「私がいまあるのは、選手のおかげだ」と感謝の気持ちを素直に口にした。野村時代のスワローズを知る人にとっては、涙が止まらない。

「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」「言い訳は進歩の敵」など、野村氏は数々の名言を残し、その含蓄ある言葉の数々は野球人だけでなく、各界のリーダーや教育者にも受け入れられてきた。しかし、本書に綴られるのは、格言的なものではなく野村氏自身の生の言葉の数々。それは感謝の言葉だ。選手への思いや、家族、そして母への感謝の言葉はとても強く心に残る。

 また、数々の名言がある野村氏だが、93年の日本シリーズの優勝インタビューで発したのは「感謝、感謝、感謝」というシンプルな言葉だった。この言葉が今でも強く心に残り、野村語録のなかで一番好きな言葉となった。

 本書を読んだあと、この3つの感謝は、選手、家族、そして母へ向けたものだったのではないか。そう思えてくるような、野村氏の本当の姿が見えた一冊であった。

文=すずきたけし

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