世間から求められる“ふつう”を問う、人気の人生相談『ふつうにふつうのふりしたあとで、「普通」をめぐる35の対話』

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公開日:2021/11/9

ふつうにふつうのふりしたあとで、「普通」をめぐる35の対話
『ふつうにふつうのふりしたあとで、「普通」をめぐる35の対話』(牧村朝子/双葉社)

 先日、私が料理をしないという話をしたら、「じゃあ料理ができる男を見つけなきゃね!」と笑顔で言われた。私は、他人に日々の食事を作られるのは苦手だ。パートナーの性別も、男性でなくてもかまわない。けれど、おそらく相手は「この子が生きていくためには食事をしなければいけない。それなら伴侶となる男性には、料理ができる人がいい」と考えたはずで、それはつまり、多かれ少なかれ、私に「生きていてほしい」と思ってくれたということだ。もろもろの悶々を呑み込んで、「ですよね~(笑顔)」と返した。私に「生きていてほしい」と思ってくれた(かもしれない)、相手の気持ちがうれしかったから。

人間どうしで言葉をやりとりする時間はわたしにとって大切なものです。けれどそれはやはりある程度、「ふつうのふり」をする時間になると思っています。お互い伝え合える表現、通じる言葉を選んで、相手を傷つけてしまいかねない欲望の出方は制御して接するのだもの。でもそれを続けていると、相手のために自分を抑える腕が疲れてきてしまう。

 そんなふうに語る牧村朝子さんの最新刊『ふつうにふつうのふりしたあとで、「普通」をめぐる35の対話』(双葉社)は、「cakes」の人気連載「ハッピーエンドに殺されない」を書籍化したもの。本書に収録されているのは、恋愛や性、家族などについて、世間から求められる“ふつう”を問う人生相談35本だ。

 たとえば、1本目の人生相談のタイトルは、「35歳処女です。恋は、した事がありません」。相談者は、これまでの経験から、男女を問わず他人に恐怖心を抱いてしまう。なんとかしたいと行動してみたがうまくいかず、このまま一生、「結婚したり、妊娠・出産したり、彼氏ができたり」することもなく、ひとりで生きていかなくてはいけないのかと思うと、惨めで情けないという。

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 この相談に対して著者は、「35歳ならセックスや恋愛はしなければならないことだ」という“ふつう”の立場から「どうすれば処女ではなくなれるのか」を説くことをしない。「やさしく生ぬるい『それでいいのですよ』という肯定」も提供しない。著者の考える誠実な態度とは、相談者を取り巻く“ふつう”という“囲い”──常識や分類、ルールなどに着目し、その“囲い”は、誰が、なぜ、どのように作ってきたのかを考えることだ。

「結婚したり、妊娠・出産したり、彼氏ができたり」することは、「幸せそう」に見えるかもしれない。けれど、「幸せそう」な人たちの話を聞いてみると、意外なことが見えてくる。「子どもを愛せないまま良い母親を演じている」「妻がたまに寝言で元夫の名前を呼んでいる」「ママ友サークルからハブられるのが怖い」。相談者が「ひとりじゃないからいいよね」と思っていた人々は、“1人”ではないにしても“独り”だった。人間は、たとえ手をつないでも、ふたりでひとりにはなれないのだ。

 誰かが決めた“ふつう”の中で、「それでいいのですよ」という“お許し”をいただいても、“囲い”の中からは出られない。それに比べて、“わたし”は“わたし”、それ以上でも以下でもないのだと認識して眺める世界の、なんと広く、自由なことか。

 本書では、ほかにも「付き合ったら恋愛がわかるかも感」「男だけど男社会がしんどい」などの相談に応えつつ、時代を象徴する悩みの根源となる“ふつう”を探っていく。書き下ろし2万字と、思考の旅の手がかりとなる特選ブックガイドも収録。読了後、突然広がった世界を前に呆然としてしまうだろう読者に、著者はこんなエールを送っている。「ふつうのふりは生きる手段。だからこそ、そのあとで、ただ、生きて」。

文=三田ゆき

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