「ここは少年院で、病院ではありませんから」 “刑務所の精神科医”が抱えるジレンマとは

暮らし

公開日:2021/11/17

刑務所の精神科医――治療と刑罰のあいだで考えたこと
『刑務所の精神科医――治療と刑罰のあいだで考えたこと』(野村俊明/みすず書房)

 俗に万引と呼ばれる窃盗事件の犯人の中には、盗み自体に依存する窃盗癖(クレプトマニア)の人もいるという話を聞いたことがある。そのため近年では、薬物犯罪がそうであるように、処罰だけではなく医学的な治療が必要だという提言が専門家からなされているとか。単純な私などは、なるほどそうかと思ってしまうが、『刑務所の精神科医――治療と刑罰のあいだで考えたこと』(野村俊明/みすず書房)を読むと、犯罪と医学的な治療を結びつけるのは相当に難しいようだ。

 本書は、法務省が管轄する少年施設や刑事施設で長らく治療に携わってきた精神科医によるエッセイである。内容は学術書ではないし、個人の特定を避けるため各事例における人物の属性は大幅に変更されている旨が記されており、あくまで著者の体験と論考が主軸となっていることに留意しなければならない。また、タイトルに刑務所と入っているものの、もとより少年院は「刑罰ではなく保護と健全育成を目標としている」ことと、刑事施設にしても刑を執行する刑務所とは別に、「被疑者、未決者、死刑囚を収容する」のが目的の拘置所が含まれる。ゆえに、タイトルにおける“刑務所”には「私たちの日常生活から高い塀で隔てられ、見えにくい世界になっている」という隠喩を含んでいるそうだ。

職員と精神科医との間の高い壁

 医療少年院に著者が出勤すると、教官の1人からいきなり「ここは少年院で、病院ではありませんから」と先制攻撃を食らわされたという。数日後に、担当の少年の様子がおかしく隔離室に収容したから様子を見てほしいとの依頼を受けて駆けつけると、話しかけても少年は反応しない。なんらかの精神病性の疾患の可能性があるため、どういう処置をしようかと著者が考えていたら、先日の教官が「しっかりしろ」「逃げるんじゃない」と大きな声を出したので制したところで、へたれ込むように少年が倒れて泣き始めたことから、血圧や体温などを調べたうえでいったん部屋を退出した。すると教官は、「あれは逃げてるだけですよ」と言い放ち、さらには「甘やかさないでくださいよ」と畳み掛けてきたものだから、「自分が相手するのは少年少女なのか、こういう教官たちなのか」という考えが浮かび、「頭がくらくらする感じがした」と述べている。

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 精神鑑定を受けるために拘置所に収容されている人の面接をしたときには、刑務官から特定の収容者について、詐病だと主張されたこともあるという。詐病とは、「意識的・意図的に病気を演じてなんらかの利益を得ること(疾病利得)を目的としている」ことを指す。確かに、無罪や減刑を勝ち取れると考えるのは自然な感情ではあるが、診断は法的にも職能的にも医師の専権事項のはずだ。しかし、「こっちは二十四時間一緒にいるんですよ」と云われてしまっては、反論が難しいと著者は吐露している。

患者と治療を隔てる高い壁

 精神科の外来には、自分が子どもを虐待しているから治療してほしいとか、虐待をしそうなのでと受診する親がいるそうだ。その場合、配偶者や患者の両親(子どもの祖父母)などの家族も一緒に受診を促すことがあるという。虐待している親自身が、子どもの頃に親から虐待されていたというケースは少なくない。そして、虐待している親が発達障害を抱えていたり精神疾患を罹患していたりすることもあるという。だから、医師の促しに応じて家族が一緒に受診してくれる場合には、何とかなる可能性が高まるのだとか。しかし、医療少年院で医師が患者として接するのは本人、すなわち少年少女のみ。法務省法務総合研究所の調査によれば、「少年鑑別所や少年院に収容されている少年少女の過半数は虐待を受けて育っている」というデータがあるそうで、その点を考慮すると本人だけでなく親と一緒の診察が必要にも思えるが、そんなことをする法的な根拠や力は無い。

 一方、拘置所や刑務所には精神疾患の疑いがあっても、治療を受けられないまま収容されている人たちがいる。満足な治療を受けられないというのではなく、治療を受ける判断をする人がいないのだ。日本では治療の原則として、本人の意思が尊重される。意思の確認、それは大事なことである。しかし、本人が意思を示せない場合はどうか。家族や代理人が行なうことになるが、本人と意思疎通ができないのでは家族と連絡が取れないし、犯罪を起こしたことで家族が関係を絶っている場合もある。医師には、本人の同意を得ずに治療を行なう権限が与えられていないから、著者はそういう収容者に対して何もできなかったそうだ。

 一方、新聞などで大きく報道された事件には、高名な精神科医が治療や精神鑑定をしようと名乗り出てくるという。弁護士も同様で、先のような収容者には積極的に動かないのに、マスメディアを賑わすような事件であれば弁護を買って出て、検察官も裁判官も精神鑑定に乗り出すのを、著者は「地獄の沙汰も金次第」に喩えていた。事件の大小で治療の機会が選別されるようでは困るが、現実はなかなかそうはいかないようだ。著者が、「世のため人のため」といった治療的野心を抱いた医師よりも、「自分の生活のため淡々と働くのが良い精神科医なのである」と語っていたのが印象に残った。

文=清水銀嶺

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