アートの価値は誰が決めている? 今さら聞けない「現代アート」の世界を解説!

文芸・カルチャー

公開日:2021/12/11

みんなの現代アート 大衆に媚を売る方法、あるいはアートがアートであるために
『みんなの現代アート 大衆に媚を売る方法、あるいはアートがアートであるために』(フィルムアート社)

 “アート”。(長音符込みで)たった三文字のカタカナなのに、「理解できない」ことへの「後ろめたさ」がそこはかとなく漂う言葉だ。「なにがアートなんでしょうか?」と聞く機会もそうそうあるものでなく、誰に聞いたらいいのかもわからない。

 けれどもなぜかアートを理解しなければという焦りが心のどこかに残っていて、過去にはアメリア・アレナス氏の名著『なぜ、これがアートなの?』(淡交社)や、大野左紀子氏の『アート・ヒステリー なんでもかんでもアートな国・ニッポン』(河出書房新社)など、アートそのものを解説した本や、日本のアート業界について解説した本を読んだりした。

 さて、グレイソン・ペリー氏の『みんなの現代アート 大衆に媚を売る方法、あるいはアートがアートであるために』(フィルムアート社)は、またまたそんな“アート”について知りたい欲求がムクムクと湧いてきて手に取った一冊だ。

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 現代アートとは大変なものである。

 そもそも、アートと誰が決めているのか?

「これはアートだ!」とアーティストが決めればアートになるのか。アート入門本には毎度登場するマルセル・デュシャンの小便器が本作にも登場し、アートとは誰が決めているのか? など素朴な問いに、イギリスを代表する美術家グレイソン・ペリーが、皮肉と愛を込めて答えた1冊だ。

“(中途半端なアイデア÷野心的なディーラー)×スタジオアシスタントの数=世界のヘッジファンドのマネージャーと権力者の総数”

 今や美術は投資対象でしかなく、コマーシャルギャラリーが展覧会で作品の値段を決める際は、作品の質ではなく作品のサイズを基準にする。大きな絵画は小さな絵画より値段が高いそうだ。とはいえ、大きければいいというものでもなく、ニューヨークのマンションのエレベーターに入るサイズではないとアートの世界で成功することはないだろうという(もちろん皮肉です)。

 では、アートがアートとして認められるには誰が決めているのか? 誰がアーティストや作品に価値を与えているのか? 本書でもっともエキサイティングなのはこの「アートを決めているのは誰か?」だ。

 誰かがアートとして認定し、誰かが作品への評価と価値を付けている。それは自然発生的に生まれるものではない。そしてそれが投資や高額で売買される作品の基準となる。

 それだけ読んだだけでもタイトル『みんなの現代アート』がいかに皮肉めいた言葉なのかがわかる。

 また、すべてのものがアートとなり得る現代においては、アーティストに巣くう自意識という現代アート最大の敵の問題が存在する。対して発表の機会や他者への評価を必要としない、美術教育を受けず、ひたすら自身のためだけに作品を作り続けたヘンリー・ダーガー氏を例に、アウトサイダーアーティストであった彼にとってアートが豊かな生を与えたと著者は言う。

 面妖で“不可解なサブカルチャーが生み出した”現代アート界を、軽妙な語り口で解説する一冊。

文=すずきたけし

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