大人向けの童話のような11の物語。重松清が紡ぐ『かぞえきれない星の、その次の星』

文芸・カルチャー

公開日:2021/12/23

かぞえきれない星の、その次の星
『かぞえきれない星の、その次の星』(重松清/KADOKAWA)

 大人向けの童話のようだ――重松清氏の新刊『かぞえきれない星の、その次の星』(KADOKAWA)を読んで、まずそう思った。全体的にファンタジー色が濃厚で、寓話めいた設定が効いているからだろう。『桃太郎』をこれまでとはまったく異なる解釈で換骨奪胎した「花一輪」などがその典型。鬼=悪、桃太郎=善という予断を完全に裏切っているところからして痛快である。

 収録されているのは11作の短篇。重松氏は代表作の『ナイフ』をはじめ短篇を得意とする作家だが、本作ではその実力がこれまで以上に発揮されている。モチーフとなっているのは、コロナ、いじめ、戦争体験、人種差別、DVなど。つまりヘヴィな話が詰まっているのだが、後味は決して悪くない。軽妙な文体ゆえ、というのもあるのだろう。

 コロナ禍の閉塞感を活写した場面は多いが、文章のトーンはあっけらかんとしたところも。「こいのぼりのナイショの仕事」は、感染症で学校に行けなくなってしまった子どもたちが、こいのぼりに乗って飛び回るという一見突飛な話。軽やかである。

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「原っぱに汽車が停まる夜」では、DVやネグレクトで逝去したと思われる少年や少女が原っぱに集っている。そこには「訳あり」で命を落とした子たちが、傷ついた精神や肉体が癒やされるまで遊べる。彼らのその後については小説を読んで頂きたいが、これは重松清バージョンの『銀河鉄道の夜』だと思う。いや、そうとしか思えない。

 主人公の少女が曾祖母と交流する「ウメさんの初恋」では、曾祖母の過去の話を聞いた少女がいたく感銘を受ける。曾祖母もはや数少なくなってしまった第二次世界大戦の体験者として当時を振り返り、少女=ひ孫に聞かせる。その語りは、多大な時間の堆積と歴史の重みを感じさせる。

「コスモス」は、ブラジル人の血を引く母と2人で暮らす、リナという小学生の物語。ブラジルをルーツに持つ彼女は自らの出自に戸惑い、アイデンティティ・クライシスに陥ることもしばしば。クラスメイトが人種のことで彼女を傷つけまいと過剰に気を遣ってくるのも、リナには逆に辛くて仕方ない。皆、表面的にはその出自を理解していると装っているが、本音で話せる友達ができないのだ。

 労働者として他国から移民を受け入れざるを得なくなっている昨今の日本だが、今後リナ親子のようなケースは実際にあるだろうし、より増えていくことが予測できる。日本語もあまり理解できないリナの母は、日本特有の言葉や風習に疎く、空気を読むことができない。授業参観で娘の写メを撮る母には読みながら苦笑したが、有り得ない話ではないと思う。

 ハート・ウォーミングでありながら、単なる「泣けるいい話」で終わらない作品だ。いや、むしろ、世界の複雑さやままならなさをダイレクトに突き付けてくる。そんな小説を真正面から書ける作家がどれだけいるだろう? 逆説的だが、コロナがあったからこそ重松清の作品がより切実に受け止められる。そんな風に言えるのではないだろうか。

文=土佐有明

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