5つもの災害に見舞われ、出世競争にも敗れ、山に独居…。『漫画方丈記 日本最古の災害文学』が示す生きにくい世の「幸せ」とは!?

マンガ

公開日:2021/12/18

漫画方丈記 日本最古の災害文学
『漫画方丈記 日本最古の災害文学』(鴨長明:著、信吉:漫画、養老孟司:解説/文響社)

『枕草子』、『徒然草』と並んで日本三大随筆のひとつである『方丈記』。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」という冒頭の有名な一文で知られるこの作品は、源平騒乱期を生きた鴨長明が、西暦1212年、58歳の時にわずか5畳ほどの小屋で書き上げたと言われている。

 鴨長明は、生きている間に、京の都にて、安元の大火(23歳)、治承4年の辻風(26歳)、福原遷都(26歳)、養和の大飢饉(27歳)、元暦の大地震(31歳)、と5つもの災厄に見舞われた。『方丈記』は、半分が災害の記録で、災害文学としても高い評価を得ている。数年の間に次々と起こる災害を、感情を交えず、淡々と、さながら新聞記者のように冷静に伝えようとする文章力に驚嘆したのはもちろん、飢饉の際に、幼い赤子が、母親が死んでいるのも知らず、乳を吸ったまま寝ていることを記すなど、当時の状況がいかに過酷で壮絶なものだったか、目に浮かぶような構成に、言葉を失うことも多々あった。

 だが、それだけではなく、出世競争にも敗れ、すべてが嫌になり、山奥へ引きこもった彼が、実体験を振り返りながら、この世の生きづらさについて考えを述べているところも、現代人の心に、深い感銘を与えるのだ。

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 そんな『方丈記』だが、コロナ禍や経済不安、自然災害で不安定な令和の時代において、再び注目を集めているらしい。漫画を信吉さんが描き、解説を養老孟司さんが担当されている『漫画方丈記 日本最古の災害文学』(文響社)は、原文を、漫画オリジナルの演出も加えながら、わかりやすく漫画にしたものである。落ち着いていて温かみを感じられる絵柄で、確かに心に刺さるように描かれる物語は、今読んでも新鮮で、800年以上経っても、人の悩みは変わらぬものなのだなと感じた。

 賀茂神社の正禰宜の子として生まれ、恵まれた生活を送っていた鴨長明。彼はいわゆるセレブであった。父方の祖母の家を継いで暮らしていたが、和歌や音楽に夢中になるあまり、神職に励まず、30歳にして家を出され、前の10分の1の大きさの家に暮らすこととなる。そのあとも、親戚の妨害で出世のチャンスを逃し、大層落ち込む。それならばと、後鳥羽院が特別のはからいを提案したにもかかわらず、生きにくい世に耐えきれず、これ以上苦しい思いを重ねたくないと、申し出を断り、家を棄て、50歳の時に大原に出家してしまうのだ――。そして54歳の時に、大原から日野の山中に移り、方丈の住居(小さな家)を作り、そこでの自由と楽しさが、『方丈記』には綴られている。『漫画方丈記』では、生活の間、仏道修行の間、芸術の間と、空間を機能的に分けたシンプル快適ワンルームにて、猫と一緒にのんびりと、好きに和歌を詠み、好きに演奏し、念仏を唱えるのが億劫で読経にも身が入らない時は、心のままに休み怠ける様子が、豊かな自然と共にのんびりと描かれている。必要最低限のもので、快適に過ごす姿は、みすぼらしさとは無縁に見え、文章だけで『方丈記』を読んでいた時より格段に、趣深さを感じた。

 鴨長明は、外部の目から見ると、セレブ生活を棄て、世間からも逃げだし山に独居。貧しく可哀想な人に見えたかもしれない。だが、誰のためでもなく自分のために音楽を奏で、和歌を楽しみ、情や優しさで繋がっているわけではない他者と関わる気苦労からも距離を置き、自由を謳歌している様子は、現代の究極のミニマリストとも重なる部分があり、少しうらやましさも感じた。また、彼の生き様からは、他者から好かれようとか、どう思われているかなど、気にする素振りがまったく見えない。自分は文学と音楽が好き、自分はこういう生き方を希望する…と、どこまでも自分の心に忠実で、それらを他者に一切強要しないところも素晴らしいと感じた。

 心がかき乱される災禍を5つも経験し、自然や人の命、住処の儚さを真正面から捉え、安心できる生き方を模索したその記録は、歴史は繰り返されるということや、たとえ未曾有の災害でも、時が経つにつれ、徐々に風化し、口に出す者がいなくなる人の世の愚かさや悲哀が、しみじみと綴られている。古典だし難しそう…と『方丈記』に苦手意識を持つ方は、ぜひ本作からチャレンジしてみてほしい。「この世に何一つ変わらぬものはない」という無常観がベースにあれど、そんな生きづらい世において、住まいや生き方を見直しつつ、前向きに生きる心を決して失うことのなかった鴨長明の姿が、わかりやすい言葉と、風情のある絵で丁寧に描かれている。

文=さゆ

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