「大人計画」主宰・松尾スズキの修業時代をモデルにした小説『矢印』。酒への複雑な想いが交錯する…

文芸・カルチャー

公開日:2021/12/29

矢印 (文春e-book)

著:
出版社:
文藝春秋
発売日:
矢印
『矢印』(松尾スズキ/文藝春秋)

 松尾スズキ氏は、阿部サダヲ氏、宮藤官九郎氏、星野源氏らが所属している劇団・「大人計画」の主宰。根本宗子氏や三浦大輔氏など、松尾氏に多大なる影響を受けたという劇作家/演出家も数多い。また松尾氏は、小説やエッセイも執筆しており、芥川賞に過去3度ノミネートされている。

 そんな松尾氏の最新小説『矢印』(文藝春秋)は、放送作家見習いだった主人公「俺」の修業時代の話。私小説的な色合いもあるが、実体験をデフォルメしたり、想像上のエピソードも加えられたりしているようだ。当時の「俺」はクイズ番組のクイズを作成する駆け出しだったが、本書では当時の松尾氏にいくばくかの潤色を施しているようにも取れる。

 物語は10年間「俺」が師匠と仰いでいた放送作家との話から始まる。師匠の話やそれに対する仲間のリアクションはいつも、「俺」が悔しくて仕方がなくなるほど面白い。そんな師匠に追いつきたくて、「俺」はレンタルビデオ屋で「ニュージーランド製のブラックジョークに満ちたパペット映画」などを借りては、精進するのであった。

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 師匠は酒豪、いや、アル中だった。20代なかばにして1日で700ミリリットルのバーボンを1本、休みの日には2本空けるようになり、最後は自宅で非業の死を遂げる。過度な不摂生やアルコールの摂取が死因のひとつだったのかもしれない。「俺」は師匠の遺体を見て呆然自失とする。

 師匠を亡くしたその日、自暴自棄でやりきれなくなった「俺」は、映画館で『地獄の黙示録』を観る。そしてその帰り、「俺」は偶然出会った女・スミレにいきなり結婚を申し込む。スミレはその日離婚したばかりだったにもかかわらず、承諾してしまう。急展開すぎるだろう、いくら小説であるとはいえ……。

「俺」の手元には師匠の部屋から拝借した一千万円があり、とりあえずすることのない「俺」とスミレは同居し、酒びたりの自堕落な日々を送るように。俺とスミレは幾度となく壮絶な喧嘩を繰り返しながら、共依存的な関係に陥ってゆく。

 スミレはミステリアスな女性だ。経歴もよく分からず、精神的にも不安定で型破りな行動に出ることもしばしば。夢と現実のあわいで彷徨っているような言動はしかし、神秘的な趣があって読者を惹きつける。少なくとも筆者はそうだった。だが、そんな日が長く続くわけもない。ある出来後によって「俺」のパソコンに入っていた仕事用のデータが完全に消えてしまうのだった……。

 松尾氏は『文學界』2021年12月号の安藤玉恵氏(俳優)との対談で、「昔ほど極端に酒を飲む人が減った」と指摘し、漫画家の赤塚不二夫氏に言及している。

 松尾氏は師匠のキャラ造形に際して、赤塚氏の姿も少し脳裏にあったそうだ。赤塚氏は仕事場でも飲みながら作業をしていたそうで、原稿用紙に登場人物のセリフだけ書いて、あとは全部アシスタントに任せて外で飲んでいたという。松尾氏は赤塚氏に一度だけ邂逅したそうだが、それはそれは酷い酔い方をしていたとか。

 死体の第一発見者だった「俺」と仲間の山城は、師匠の部屋から見つけた金を使ってさらなる騒ぎを起こす……のだが、その波乱万丈なストーリーについては本書を手に取って確かめてほしい。

 蛇足かもしれないが、他にアル中をテーマの作品とした書籍として、中島らも氏『今夜、すべてのバーで』、ECD氏『失点 in the park』、吾妻ひでお氏『失踪日記2アル中病棟』、まんきつ氏『アル中ワンダーランド』を挙げたい。いずれも、酒を飲まない人でも酩酊感が味わえるようなドープな作品である。

文=土佐有明

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