松尾スズキが、エッセイ『人生の謎について』で綴った、演劇の最悪の敵・コロナ禍で奮闘する日々

文芸・カルチャー

公開日:2021/12/26

人生の謎について
『人生の謎について』(松尾スズキ/マガジンハウス)

 演劇ファンなら、いやならずとも、「大人計画」という劇団を知っている読者は少なくないだろう。大人計画は、宮藤官九郎氏、星野源氏、阿部サダヲ氏、グループ魂らが所属する劇団で、その主宰を務めるのが松尾スズキ氏。小説を書けば作品が芥川賞候補になったり、俳優としてNHKの連続テレビ小説『あまちゃん』や『いだてん』などのドラマに出演したりと多才だ。

 そんな松尾氏の新刊『人生の謎について』(マガジンハウス)は、2018年から続く『GINZA』の同名連載をまとめたもの。家族、故郷、恋人、仲間、仕事などについてのエッセイから成るが、特に吸引力のあるトピックを挙げると、修業時代の話と、コロナ禍での演劇に大別される。

 前者は、印刷会社を辞めて演劇に打ちこんでいた著者の回想と回顧。時間はあったけれど仕事はない。とにかく貧乏だった、ということは伝わってくる。恋人に金を無心し、パチンコや漫画喫茶に入り浸りながら、自堕落な日々を送っていたそうだ。

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 なお、松尾氏が住んでいたのは笹塚。劇団員の池津祥子氏が住んでおり、宮藤官九郎氏や顔田顔彦氏がバイトしている居酒屋があったので、よく集まって、アングラな小冊子を作っていたという。まるで『まんが道』におけるトキワ荘のようではないか。修業時代は経済的には辛かったが、今になってみればどこにあんなエネルギーがあったのか、と松尾氏は往時を追想する。

 とはいえ、いつまでもモラトリアムを謳歌、満喫していることもできない。大人計画を立ち上げた時に、30歳になって食えなかったら辞めて〈浮浪者になろうと思っていた〉と著者は言う。かなりシリアスで切羽詰まった書きっぷりだが、劇団員ほど食えない職業(というか肩書き)が他にないのも厳然たる事実である。

 そしてもうひとつ、連載開始当初は予想していなかっただろうコロナとの闘いについても、多くの紙幅が費やされている。公演に向けて、コロナ対策は当然、万全を期したという。稽古場に着てきた服を全員が全部を着替え、持ち物を床に置かず、俳優との雑談もせず、飲食の際に声を発することもしないし、できない。

 かくして松尾氏が作・演出を手掛ける舞台では、公演前に舞台に関わる人全員がPCR検査を受けるなど、対策は講じた。……にもかかわらず、主役のひとりである阿部サダヲ氏がコロナに罹患してしまう。これはさすがに痛手だったらしく、初日が無事終演した際は感涙ものだったという。

 コロナ禍でピリピリしている芸能の世界に身を置きながら、著者は〈病気より、世間が怖い〉とぼそっと漏らす。これが本音だろう。そして、この本音を読むためだけでもこの本を買う価値はある。ちなみに著者は、演劇は〈自分がやらなくても誰も困らない仕事〉だと書いているが、シアターコクーンの芸術監督でもある彼は、同劇場のHPで「コロナの荒野を前にして」という文章を認めている。2020年7月3日のことだ。

演劇なんてなくても生きていけるし。コロナ禍の中、ある演出家氏の発言を巡って、ある種の人々がそんなふうに言った。(中略)とはいえ、人間は、なくてもいいものを作らずに、そして、作ったものを享受せずにいられない生き物だとも私は思っている。生きるに必要なものだけで生きていくには、人間の寿命は長すぎるのである。(中略)しょせん暇つぶし。しかし、人は命がけで暇をつぶしているのだ。

 なお著者は、このアナウンスを発するのみならず、vs.コロナを念頭に置いたアクリル演劇(!)を上演した。これは、アクリル板で作られたボックスに入った演者が歌、踊り、対談、朗読、演劇、剣劇などを、唯一の観客である松尾氏の前で繰り広げるというもの。WOWOWで放映され、「第11回衛星放送協会オリジナル番組アワード」を受賞した。その顛末も本書には書かれており、この一冊の中でも最大のヤマ場となっている。

 なお、松尾氏に多大なる影響を受けた劇作家/演出家の根本宗子氏もまた、アクリル演劇に一脈相通ずる発想で作品を上映した。俳優は小屋入り前日までリモートで稽古を行い、本番ではスウィッチングなしのワンカメラで配信。リモートならではの会話劇を打った。

 松尾氏も根本氏も、転んでもただでは起きない「反転のアーティスト」である。筆者はそのしたたかさとしなやかさにほだされ、あらためて彼らに、そして彼らの作る作品に敬意と愛情を抱いた。コロナ禍で公演数はだいぶ減った演劇界だが、松尾氏や根本氏のような演劇人がいる限り、筆者は今日も劇場に足を運ぶだろう。

文=土佐有明

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