“90年代あるある”が盛り込まれた渋谷直角の『世界の夜は僕のもの』――当時の若者とポップカルチャーのあれこれ!

マンガ

更新日:2021/12/27

世界の夜は僕のもの
『世界の夜は僕のもの』(渋谷直角/扶桑社)

 漫画家/コラムニストの渋谷直角氏の『世界の夜は僕のもの』(扶桑社)は、1990年代の東京の若者とポップカルチャーの関係を、著者なりに回顧/懐古した漫画である。主人公のレオは新しもの好きで、先鋭的なカルチャーを追いかけるアート系専門学校生。彼以外にも、漫画家からお笑い芸人まで、カルチャー系の職業を目指す若者がたくさん登場し、「ザ・90年代」というほかないエピソードが並ぶ。

 世代によって受け止め方が違う漫画ではあるだろう。74年生まれの筆者には、「90年代あるある」の連続だった。ヒステリック・グラマー、高かったなあ。ピタT流行ったなあ。男性だけど『オリーブ』と『CUTiE』は毎号買っていたなあ。初めて行った(キャバクラじゃないほうの)クラブ、緊張したなあ。岡崎京子や魚喃キリコの登場は鮮烈だったなあ。『コミック・キュー』読んでたなあ。アナログがちょうど入るサイズのバッグ持っていたなあ。『ごっつええ感じ』の頃はダウンタウン人気が凄くて、松本人志に憧れる若者、多かったなあ。

 以上の固有名詞にまつわる話が全部分かる人は、おそらく今40代から50代初めだと思う。この世代の方にとっては読んでいてひどくこっぱずかしくなる漫画だろう。最先端のカルチャーを必死で追いかける主人公の姿が、昔のイタい自分と重なるからだ。少なくとも、筆者はそうだった。

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 一方当時をリアルタイムで知らない読者には、「こんな時代だったの!?」と驚くこともあるはず。今や女優として大成した市川実日子が、姉の美和子と共に、『オリーブ』のモデルをしていたことや、ヤンキーでも不良でもない、「チーマー」なる若者たちが渋谷のセンター街を牛耳っており、カツアゲされた人も少なくない、ということも。

 通読して痛感したのは、いつの時代でも若者は過去の文化的遺産を貪り、新たなカルチャーを生み出してきたという事実だ。実際、90年代の若者は古着屋で買ったベルボトムのジーンズを穿き、ネオGSやブリッティッシュ・ビートで踊り狂い、おしゃれなフランス映画に傾倒し、渋谷の宇田川町でアナログ・レコ―ドを漁った。そして本書は、そうした文化に耽溺した若者の生態をつぶさに描いている。

 過去に評価されていなかった音楽や映画に光を当て、新たな価値を付与する。これもまた90年代カルチャーの特徴のひとつだ。古くてダサいとされていたアイテムを発掘し、称揚するということ。これは音楽の世界では「レア・グルーヴ」と呼ばれた現象だ。

 例えば、はっぴいえんどを日本のロックの始祖と位置付ける「はっぴいえんど史観」は、今でこそ定着している(そして、定着しすぎて疑われだしてもいる)が、再評価されたのは、90年代に進んだリイシューがあってこそだ。

 そうした中、曽我部恵一が率いたサニーデイ・サービスは、60~70年代のフォークやロックに価値を見出し、自家薬籠中のものとした。それは服装にも如実に表れる。渋谷系がスタイリッシュで洗練されていたからこそ、自分たちは真逆にヒッピーのようなスタイルを選んだ。長髪に古着といういで立ちを意識的に選んだのである。

 本書の中で特に共感したのは、サニーデイの『東京』やフィッシュマンズの『オー! マウンテン』を聴いて、主人公たちがその素晴らしさに驚嘆したくだり。特に、フィッシュマンズについての描写は生々しい。ヴォーカルの歌い方が苦手と思いながらも最新作を聴き、その圧倒的なサウンドに感化される。これは筆者もまったく同じだった。

 なお、本書では少ししか触れられていないが、鬼畜系やバッド・テイスト、悪趣味ブームなども90年代のもうひとつの流行だった。本書では主人公の知人が死体写真を見ているシーンがあるが、こうした趣味嗜好は当時マイノリティーとは言い切れなかった。この辺りの事情は、『危ない1号』という雑誌に関わった吉永嘉明の『自殺されちゃった僕』(飛鳥新社)に詳しい。おそらく著者が通ってこなかった道だと思うが、ダーク・サイド・オブ90’sというべきこちらに興味を掻き立てられる読者もいるのではないだろうか。

文=土佐有明

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