写真家が半世紀にわたって「森の定点観測」をし続けてわかった、本当の日本の森と動物たち

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公開日:2021/12/26

森の探偵 無人カメラがとらえた日本の自然
『森の探偵 無人カメラがとらえた日本の自然』(宮崎学/亜紀書房)

 写真家である宮崎学氏は、手製の無人カメラによって70年代から現在まで日本の森を写し続けてきた。『森の探偵 無人カメラがとらえた日本の自然』(亜紀書房)は、その長きにわたる宮崎氏の森の定点観測で感じた、日本の自然環境とそこに生きる野生動物たちの変化についてを、キュレーターである小原真史氏が聞き取ったものだ。

 宮崎氏の著作である『イマドキの野生動物』や『となりのツキノワグマ』の中で、無人カメラが写し出したのは人間と野生動物が共に利用していた公園の遊歩道や家の庭だった。人間の生活圏には、人間の知らないうちにイノシシやシカ、そしてクマまでもが進出していた。気付かないのは人間たちで、人間と野生動物の生活圏が実は重なっていたことに驚いた。

『森の探偵』はそれまでの宮崎氏の活動について、その野生動物を撮影するためのアイデアや動物の行動、自然環境への知見、そして写真家としてのこだわりなどが綴られていて、すべてが興味深い。

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 無人カメラの製作においては、ミシン糸に動物が触れることでシャッターが切れるようにした初期のものから、赤外線感知器を使用したものや、電子センサーを使用したものまで、アイデアの実現と発想の試行錯誤が面白い。

 また、それらで撮影された動物たちは、夜間にフラッシュを焚かれたことで、まるで舞台上でスポットライトが当たった俳優のように写し出される。舞台での演技を見るような動物たちの写真には、ふと野生であることを忘れてしまう不思議な魅力がある。そしてその魅力は、仕掛けた宮崎氏が“写真家”であるがゆえのものなのだろう。

 例えば、ノネズミがジャンプする写真を撮るために、カメラの前に仕掛けを作り、“演出”をしているのだ。それは野生動物の生きる森を“写真スタジオ”にして撮影しているかのようだ。そうしてまるで舞台俳優のような動物たちの写真が生まれるのだ。

 そうした撮影を70年代から続けていた宮崎氏の活動は、森の定点観測へとつながり、自然環境と動物の生態の変化を肌で感じることになる。

 なかでも、お墓のお供えものをエサにするツキノワグマや、農家が廃棄したミカンに群がるイノシシの親子、新宿の街中で暮らすアライグマなど、人間の生活圏、活動場所や人工物の恩恵を受けている野生動物たちは、前述した宮崎氏の著作から感じられる人間と野生動物の曖昧な境界を印象付ける。本書ではこれら人間の生活圏を利用することで生きている動物たちをシナントロープと呼び、現在では警戒心が強い動物までも人間との距離を縮めているという。

 また、東日本大震災や、昨今の豪雨などの自然災害は人間にとっては災害かもしれないが、堤防や川岸が崩れて露出した土壌にはカワセミやヤマセミ、ショウドウツバメが巣を作り、台風や大雪で木の枝が折れるとそこから腐って動物たちの住処になる樹洞ができるなど、一方で恩恵を受ける動物たちがいることを宮崎氏は教えてくれる。

 よくなっているのか、悪くなっているのか、ついつい悲観的な考えに囚われてしまう自然環境の変化のついても、宮崎氏の口から発せられる言葉には希望に包まれる。70年代にはクマがまったくカメラに映らず、一生撮れないのではないかと思うほどクマは少なかったのが、現在では同じ場所で異なる個体のクマの写真がたくさん撮れるようになり、かつては絶滅と危ぶまれていたツキノワグマが現在では身近な動物になっているという。また、植林などによる人工林では、樹高が30から40メートルになったことで、猿やクマといった森林を立体的に使ってエサを得る動物たちに有利な環境になっている。

 時代を追うごとに自然破壊が進んできたというのが、実は先入観による大きな誤解であり、現在では山への人間の進出線も後退し、数十年前と比べて、現在の森林は圧倒的に豊かになっているという。森と動物を長年にわたり見続けてきた宮崎氏ならではの説得力を感じられる。

文=すずきたけし

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