2022年に「より良い仕事」をするために――反面教師としての「ブルシット・ジョブ」を考える

ビジネス

公開日:2022/1/11

ブルシット・ジョブの謎―クソどうでもいい仕事はなぜ増えるか
『ブルシット・ジョブの謎―クソどうでもいい仕事はなぜ増えるか』(酒井隆史/講談社)

 2021年の仕事を振り返り、2022年の抱負をあれこれと考える。そんなときにピッタリなのが『ブルシット・ジョブの謎―クソどうでもいい仕事はなぜ増えるか』(酒井隆史/講談社)です。2018年に世界的ベストセラーとなり、日本でも2020年『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』(デヴィッド・グレーバー:著、酒井隆史、芳賀達彦、森田和樹:訳/岩波書店)というタイトルで出版された書籍の翻訳者が、本書の著者・酒井隆史氏です。原著はなかなか難解で挫折する人も多いそうですが、著者は翻訳者目線で、本一冊分をかけて解説と自身の見解を添えています。

「ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)」、略してBSJは、「被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でさえある有償の雇用の形態である。とはいえ、その雇用条件の一環として、被雇用者は、そうではないととりつくろわねばならないと感じている」と、デヴィッド・グレーバーの原著では定義されています。


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 本書を読みながら私自身の記憶を思い返してみたとき、BSJだと思い当たる仕事がひとつありました。大学生のときに、時給が良いというだけの理由で「コンサートのサクラ」のバイトをしたことがあるのですが、まさに上記の定義があてはまりました。年輩のファンの中でポツンとサクラをしている20代の自分を俯瞰したときに「いったい何をやっているんだろう」と感じつつも、「自分がサクラだとバレたらファンたちが落胆するのでちゃんとやらなければ」という不可解な義務感が生じました。今となっては「仕事とは何か」を考える上での良い社会勉強だったと思いますが、当時は「なぜこのような仕事が生じ得るのか?」と戸惑い、モヤモヤした気分で家路についたのを今でもよく覚えています。

ブルシットする人は、そもそも真実や事実なんてどうでもいいのです。「真実をいう」ということと「ウソをいう」ということは正反対ですが、どちらも真理に対する配慮があることで共通しています。ところが「ブルシットする」ことは、そうしたものへの配慮がほとんどないか不在なのです。それよりも、その場をうまく丸め込むとか、「論破」したとみせかけるとか、自分をなんとなくエラくみせるとか、知的にみせるとか、そういうことのほうが大切なのです。

 SNSでも往々にしてそのような「見せかけ」や「マウンティング」が起こりますが、「見極め」「断言」が主流である中では、審査や格付けといった行為が力を握るようになる、と本書では指摘されています。そして、とても厄介なのは、他者に自分が審査・格付けされるだけではなく、自分で自分を審査・格付けしてしまうような傾向も生じてきてしまうということです。言い換えるならば、自己検閲です。

 デヴィッド・グレーバーは124のウェブページや250の体験談・証言から、11万語のデータベースを構築しましたが、最も現代人の精神において根深く君臨し続けているのは「労働=是」、つまり「労働はそれ自体に価値がある」という考え方だといいます。これは、「働かない=非」という前提による自己検閲が常態化してしまっていて、労働そのものの価値に懐疑的になるという思考習慣が抑圧されているということを意味します。

 デヴィッド・グレーバーへの情報提供者の中には、コミュニケーションを通じて「問題が問題であることの特定」が行われ、「労働そのものに盾突いていいのか!」という発見をする人が少なからずいたそうです。

やりたくもないどうでもいい仕事でもそれを熱心にやっているのだとアピールしあう暗黙のプレッシャーがかかっていて、それが空気のように漂っていたというのです。賃労働を通して身も心も破壊しなければ、正しく生きていないという、それが社会関係の基本原理だった、と。

 こうした流れの中では、お金を稼ぐのは本来「手段」であるはずが「目的」になってしまったり、雇用創出事業のために管理職的な立場の人材の雇用が行われ、実際の雇用や事業開発への投資が起きにくくなったりするという事態を招くといいます。「自分の会社・プロジェクトに思い当たる節があるかも」と感じた方も、もしかしたらいらっしゃるかもしれませんね。そんな方はぜひ、2022年の仕事を「クソどうでもいい」ものには絶対にしない流れを、本書で掴んでみてください。

文=神保慶政

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