勇気をくれる韓国文学!『アーモンド』著者が描く、大企業の不正に対する、非正規職員達によるささやかな反逆

文芸・カルチャー

公開日:2022/1/8

三十の反撃
『三十の反撃』(ソン・ウォンピョン/祥伝社)

 韓国文学がべらぼうに面白い。そう実感する機会が最近増えた。きっかけはチョ・ナムジュの『82年生まれ、キム・ジヨン』(筑摩書房)が日本でも23万部を超えるヒットとなり、映画化もされたこと。それに続いて、ピョン・ヘヨン、イ・ギホ、キム・グミなどが傑出した作品を上梓。特に、貧困にあえぐ経済的弱者が登場する、社会問題を扱った小説に注目が集まった。

 ソン・ウォンピョン『三十の反撃』(祥伝社)もまた、同様のテーマを内包した作品である。著者は既に、2020年度の本屋大賞翻訳小説部門1位を獲得した『アーモンド』を刊行しているが、『三十の反撃』も同作に劣らない出来である。主人公はDMという大手企業でインターンを務める、アラサー女性のジヘ。実力が認められれば正社員になれるかも、という淡い期待を抱き、居心地の悪い職場で陰々滅々とした日々を過ごしている。

 本作の根底を成しているのは、労働者を底辺に追いやる深刻な格差社会。ジヘは非正規職員ながら重労働を強いられ、賃金は微々たるもの。上司はいけすかない人物ばかりだ。読んでいて、暗澹たる気分になってくる人もいるだろう。その流れが変わるのが、DMへの恨みを晴らすために入社してくる、ギュオクという男性が登場してからだ。権力者の横暴に腹を立てる彼は、「やってみなくちゃ何も変わらない」と言い、自分をリーダーとする非正規職員の一団を結成する。

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 彼らは大企業の不正や矛盾に抗ってゆく。例えば、物書きでもあるムインは、シナリオ公募に作品を出したが、入賞には至らなかった。だが、まったく同じ話をもとにした映画が作られることを知って、愕然とし、憤怒する。盗作の真相をテレビ局に流したり、弁護士にも相談したりしたものの有効な方策がなく、泣き寝入りするしかない。

 そこでギュオクらは、映画公開にあたっての舞台挨拶に乱入し、この映画が大企業に奪われた作品だと声高に叫ぶ。無論、映画が公開中止になることもなく、ギュオクらの行動は一瞬SNSで拡散されるだけだが、微かながらでも爪痕を残せた。そうメンバーたちは確信する。他にも、賃金が未払いになっている大手スーパーの店長の前で、給与を支払えと大書したマスクを被り、1分間ダンスを踊って過ぎ去るなんてことも。悪徳政治家に生卵をぶつけた動画も一時的に話題を呼び、彼らのアクションを独創的なパフォーミング・アートだ、という人もいた。

 彼らの運動はちっぽけないたずらや、滑稽な遊び、あるいはちょっとしたゲームに過ぎない。メンバーたちもそれを自覚している。だが、巨悪を前にしてひるまないギュオクらの行動は、読んでいて実に痛快だ。自分の境遇と重ね、快哉を叫びたくなった読者もいるのではないか。

 そして、筆者は本作を読んでいて、まるで日本に蔓延する問題を描いているようだ、と思った。経済格差は広がるばかりで、大学を出ても正社員にはなれず、ブラック企業に搾取される。今、韓国文学が人気なのは、これは自分たちの問題でもあると、多くの日本人読者が受け止めたからだろう。『パラサイト 半地下の家族』に通じる設定が含まれるのも、日韓両国で同映画がヒットした事実を裏書きしている。

 ちなみに、チョ・ナムジュの『82年生まれ、キム・ジヨン』の主人公、キム・ジヨンは、韓国で最も多くの人につけられた名前だった。そして、本作の主人公のジヘというのもまた、実にありふれた名前である。これは、彼女が会社の中でいくらでも替えの利く、交換可能な存在だということを仄めかしている。

 こうした運動の裏側で、ジヘとギュオクが互いに惹かれてゆく。ふたりの関係が小説のヤマ場になることで、本作は権威への反逆にとどまらない普遍性を獲得している。そして本書は、1920年代から1930年代前半にかけて流行した、プロレタリア文学の最新バージョンでもあるように思える。虐げられる者たちの反逆という意味では、小林多喜二『蟹工船』を連想した部分も見られる。今の日本でこそ切実に読まれるべき小説。そう断言したい。

文=土佐有明

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