ゲームを買う代わりにニワトリを選んだ思春期男子と家族の軌跡

暮らし

更新日:2022/1/13

ニワトリと卵と、息子の思春期
『ニワトリと卵と、息子の思春期』(繁延あづさ/婦人之友社)

 新しいゲームが欲しい、新型スマホが欲しい、◯◯に着ていく洋服が欲しい……子どもから何かをねだられた親は、いつの時代であろうと「勉強する時間がなくなる」「この前買ったのがあるでしょう」「お小遣いを貯めて買いなさい」などともっともらしい理由をつけて却下するものだ。なおも食い下がろうとすると、一番強力な“衣食住の剥奪”のカードをチラつかせ、最終的には「そんなお金がどこにあるの」「夢みたいなこと言ってないで早く勉強しろ」「ウチはウチ、ヨソはヨソ」「それが嫌なら出ていきなさい!」と子どもの立場からは反撃できない領域が展開されてしまう。子どもとしては「勉強しなさいって言われると、やる気がなくなる!」と最後っ屁をかましてやるくらいが関の山だ。

 しかし、である。

「ゲーム買うのやめるからさ、その代わりニワトリ飼わせて」

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 こう反撃されたら、きっぱり「ダメ」と言えるだろうか?

 しかもすぐに子どもはニワトリを飼うにあたっての問題点とその解決策を考え、飼いたい理由に「卵が取れるから」と書き、飼育小屋の設計図まで描いた飼育計画書を作成してくる。「朝、コケコッコーと鳴くと近所迷惑になる」という大人の苦し紛れの抗弁には「採卵したいからメス。オスは飼わないから大丈夫」と理路整然と畳み掛け、さらには知り合いや近所の人をも巻き込み、飼うための土地探しやニワトリの調達法まで調べ始めている。こうなると、もうお手上げである。

 本書『ニワトリと卵と、息子の思春期』(繁延あづさ/婦人之友社)はそんな提案をされ、完全に押し切られる形でニワトリを飼うことになった長崎在住の小学6年生男子の母が、約4年にわたって息子とニワトリの成長、そして家族の軌跡を記録したものだ。

 ペットではなく家畜だから名前はつけない、2年ほどで産卵率が落ちるから最後は絞めて、捌いて食べたいと言うなど、ニワトリを飼い始めた男子の決意は固く、驚くほどドライだ。そして試行錯誤しながら飼育して採卵し、その卵を売って小遣いを稼ぎ、やがて命をいただく日がやって来る。その間に子どもは思春期を迎え、親との関係が変化していく。自立しようとする子は、自分のテリトリーである飼育現場と心の中への親の介入を許さない。やがて時間が過ぎ、コロナパンデミックが起き、家族の立場も変容し、ニワトリたちを巡って最後に意外な展開を見せる。

 本書を読むことで、思春期の自分が心の奥底から引っ張り出されてしまう人も多いだろう。親や先生に言われた心無い言葉、友人との微妙な関係、万能感が少しずつ削られていく苦しみ、誰にも言えない自分だけの秘密を抱え、得意なことは何かともがき、未来への悩みに惑う……そのとき「こんな大人にだけはなりたくない」と心に誓ったような大人に、あなたはなってないだろうか? また、親となった人は「こうなってほしい」と願うあまり、自分が思春期に嫌だったことをすっかり忘れて子どもに押し付けてはいないだろうか? 子どもから見た親は絶対的で、親としてベテランであると思っていたものだが、実は初体験の子育てに戸惑うビギナーに過ぎない。それも、いつの時代であろうと変わらないのだ。

 親離れする子に複雑な思いを抱きながら見守り、頭ごなしに否定せず、子どもの可能性を信じる親の覚悟。そして命あるものを食べ、自分が生き長らえるという、すべての人がごく当たり前に毎日やっていることについて改めて考える――小さなニワトリたちの存在は、かくも大きなものであった。

文=成田全(ナリタタモツ)

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