“推し”に生きる女子と死にたがりのキャバ嬢。正反対のふたりが歌舞伎町で出会ったら…金原ひとみ『ミーツ・ザ・ワールド』

文芸・カルチャー

更新日:2022/1/17

ミーツ・ザ・ワールド
『ミーツ・ザ・ワールド』(金原ひとみ/集英社)

 大人になると、自分と似たような価値観を持つ人ばかりと話すようになる。職場で気の合う相手はだいたい同じくらいの学歴だし、休日会う友人たちは趣味や根っこの性格が共通している。やっぱり、通じるところが多い相手は、話していて気持ちいいのだ。だが、そんなぬるま湯に浸っていると、いつの間にかコミュニティ内の価値観が当たり前のものになる。別の世界を生きる人への想像力が弱まっていく。そうなると、ふとした会話の端で、自分の世界観を守るために、相手を傷つけてしまうことがある。

 本作『ミーツ・ザ・ワールド』(金原ひとみ/集英社)で描かれる三ツ橋由嘉里と鹿野ライの出会いも、そんなすれ違いから始まる。由嘉里は、男性同士の恋愛模様を描くフィクションを楽しむいわゆる“腐女子”だ。焼肉の部位をイケメンに擬人化したマンガ「ミート・イズ・マイン」に情熱とお金をつぎ込んでいて、現実の男との恋愛経験はない。会社では腐女子であることを隠している。

 婚活を始めた由嘉里は、会社の同僚に誘われた合コンで酔いつぶれていた。そこを本作のもうひとりの主役――キャバ嬢の鹿野ライに拾われる。煌びやかなライの姿を見て、由嘉里は思わず「あなたみたいになりたかった」と口にする。ライが「私の人生の何があんたに分かるの?」と訊くと、由嘉里は「少なくとも男に苦労したことがないってことは分かります」と答えた。

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 だが、それは自分から遠い世界にいる“キャバ嬢”という存在に、雑なイメージを当てはめただけに過ぎない。序盤の何気ないやりとりだが、のちに明かされるライの過去を知ると、このときのライの内心を想像せずにはいられなかった。ライは、自分がこの世から消えるべきだと思っている。そこに明確な理由はなく、はじめから存在しないことが“自然”だと語る。そんな彼女の中身を見ずに、由嘉里は「あなたみたいになりたい」「男に苦労したことがない」という無遠慮な言葉をぶつけていたのだ。

 本作を読み始めるとすぐに、由嘉里の思考の解像度の高さに驚く。とにかく情報量が多いのに、細かい文章ひとつとっても由嘉里であるという自然さがあるのだ。筆者も小説やアニメが好きな内向的な人間であるため共感しやすかったのもあるが、まるで自分が由嘉里そのものになったかのような錯覚を覚えた。たとえば、ライ経由で知り合ったホストのアサヒと歩いているとき、彼に貢ぐ女の子から蹴り飛ばされるシーン。常軌を逸したアサヒへの執着を見た由嘉里は、内心でこう思う。

「つまり私は、ああいう風に脇目も振らず好きな人のために怒ったり泣いたりキレたりできる人間に劣等感があるのだ。ああして好きな人のために我を忘れられる人になりたいんだ」

 わかる。わかりすぎる……。筆者も友人が恋愛を理由に路上で号泣しているのを見たとき、どこか「うらやましい」と感じたことがある。フィクションで繰り広げられるような激しい恋愛が、どうも自分の心からは発生しないような気がするのだ。だから、由嘉里が“恋愛をしている側”の人間に抱く感情は、他人事とは思えない。他者への想像力がひとつのテーマとなる本作で、著者は由嘉里とライという正反対のふたりを、実在の人間と錯覚するほど精緻に描き切る。

 物語の後半、由嘉里はライに生きる希望を持ってもらうため、ある大胆な行動に出る。以前の彼女であれば、考えられないようなことだ。ライやアサヒに出会い、由嘉里は自分の奥底にある価値観や劣等感の呪縛を少しずつ取り払っていく。私たちは結局、自分の世界だけで生きることはできない。変わりゆく彼女の結末を見届けてほしい。

文=中川凌 (@ryo_nakagawa_7

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