40年ぶりに始めたピアノ…元朝日新聞記者・稲垣えみ子さんによる、老後を朗らかに生きるためのエッセイ集

文芸・カルチャー

公開日:2022/1/18

老後とピアノ
『老後とピアノ』(稲垣えみ子/ポプラ社)

 年を取れば取るほど、できることができなくなっていく気がして悲しい。これが老いなのか。これからの人生なんて無意味なのか。いや、そんなことはないはずだ。年を取ってからだって、いろんなことに挑戦できるはず。大人になったからこそ、見えてくる世界だってあるに違いない。そんな老いを目の前にした私たちにエールを送るようなエッセイ集が『老後とピアノ』(ポプラ社)。元朝日新聞記者でアフロヘアーがトレードマークの稲垣えみ子さんによる一冊だ。

 稲垣さんは、2016年、50歳で朝日新聞を早期退職。時間ができたから、ずっとやりたくてもできなかったことに挑戦したいと、その3年後からピアノを習い始めることにした。ピアノを弾くのは、40年ぶり。だが、ちょっとしたきっかけで始めたはずのピアノに、稲垣さんはすっかりのめり込むことになる。毎日2~3時間の練習は当たり前。弾くだけじゃなくて聴く音楽もクラシックピアノ一色。練習のしすぎで手を痛めて四苦八苦し、ピアノのために食生活はもちろん、何気ない歩き方、座り方の改善にまで取り組むという古の剣豪のようなストイックな暮らし…。貴重な残りの人生の相当部分をピアノにすっかり吸い取られることになってしまったという。

 そんな稲垣さんのピアノとの出会いと格闘の軌跡は、とにかく面白い。ときに共感。ときに納得。それに、何だか勇気づけられるような気持ちにさせられるのだ。稲垣さんによれば、子どもの頃に習ったピアノと、大人になってから始めるピアノとは全く別物なのだという。子どもの頃はピアノといえば「やらされる」ものだったが、大人のピアノは誰に強制されるわけでもなく「弾きたいから弾く」ものだ。稲垣さんは、ピアノのレッスンのたびに、子どもの頃は理解できなかったことが今では理解できるということを実感していく。そして、大人になった今だからこその強みがあるに違いないと自らを奮い立たせていく。それは、苦しみの先の楽しさがあることを知っているということ。たとえ長い時間がかかっても、そこから逃げずに立ち向かえば、少しずつでも必ず人は進歩できることを大人になったいまは知っていること。もしそれが本当なら、これからの長い老い先だって何も恐れることなどないのではと稲垣さんは言うのだ。稲垣さんにとってピアノとは、老い方のレッスン。「この挑戦には私の老後がかかっている」と自身に言い聞かせてとにかく練習に励んでいく。

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 だが、大人になってから始めるピアノには、大人だからこその苦労も尽きないらしい。稲垣さんは毎日必死で練習しているのに、指は動かないし、頭は働かないと嘆く。おまけに「見栄」があるせいか、ちょっとでも人に聴かれるとなったら子どもの頃にはありえなかったほど緊張してしまうし、体だってすぐに痛くなってしまうようなのだ。だけれども、「目標なんてなくとも、誰に見せるわけでなくとも、努力をし続けることはとてつもなく楽しい」と稲垣さんは言う。毎日笑いあり涙あり。そんな奮闘の日々を見ていると、ピアノに限らず、私たちも何かに挑戦せねばという気持ちにさせられる。

 稲垣さんがピアノから学んだことを知るにつれて、他人の評価なんて気にする必要がないことに気付かされる。エゴを捨て、自分を信じ、「いま」を楽しめばいいのだということを教わったような気持ちになる。老後は、案外思いがけない楽しみや希望に満ちた時間なのかもしれないと思えてくるのだ。この本は、若い頃とは違う自分に自信を失いかけている人にこそ読んでほしい、老後を朗らかに生きていくための1冊だ。

文=アサトーミナミ

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