Netflixはもともと郵送レンタルサービスだった? 知られざるレンタルビデオから配信文化への軌跡

文芸・カルチャー

公開日:2022/2/14

ビデオランド レンタルビデオともうひとつのアメリカ映画史
『ビデオランド レンタルビデオともうひとつのアメリカ映画史』(生井英考・丸山雄生・渡部宏樹 :訳/作品社)

 私は映画のDVDやブルーレイを借りに行く際、いまだに「“レンタルビデオ”に行ってくる」と言ってしまう。近所のTSUTAYAではとうの昔に“ビデオ”は姿を消しているにもかかわらずに。

 DVDやブルーレイといった光学ディスクが主流になり、磁気テープによるカセットの“ビデオ”と聞いてもピントとこない人もいるかもしれない。しかし、いまだにレンタルDVDでなく“レンタルビデオ”と呼んでしまうのは、ビデオには特別な思いがあるからに他ならない。

 

advertisement

 なぜなら“ビデオテープ”の登場は、それまでの映画と人との関わりを大きく変えた「事件」だったからなのだ。

 ダニエル・ハーバート氏の『ビデオランド レンタルビデオともうひとつのアメリカ映画史』(生井英考・丸山雄生・渡部宏樹 :訳/作品社)は、ビデオという媒体が登場したことによって、それまで劇場かテレビ放映でしか触れる機会がなかった映画が、社会的にどのように拡散され、アメリカの映画文化そのものを変化させていったのかを考察した本である。

 アメリカ最初のレンタルビデオ店は1977年に登場した。1989年には全米で3万店を数えるほどになり、これは当時の劇場のスクリーン数(2万2000)を超えていた。90年代に最盛期を迎えたレンタルビデオだったが、2000年ごろを境に下降線を辿り、2010年には5000店あった全米1位のレンタルビデオチェーンである「ブロックバスター」が倒産。2012年には全米のレンタルビデオ店は1万店を下回った。

 90年代に日本にも進出していた「ブロックバスター」は、映画『キャプテン・マーベル』(2019)で主人公のヴァースが地球に落下した場所として登場する。今はなき青色の店舗と黄色のロゴを見たアメリカの観客は、すぐさま物語の舞台が90年代だと分かったのである。

 ビデオが一般家庭に普及するまで映画は映画館かテレビで観るものだったが、録画ができるビデオテープが登場し、「映画」がモノへと変化。レンタルビデオ店やビデオストアの棚に並ぶようになると、人々は作品を品定めし、ショッピングの商品として「映画」に接するようになったという。

 そして新旧の映画作品を取り揃えたレンタルビデオ店では、客が店頭で作品を選んで借りる行為がその人の個性を表すこととなり、それ自体が一種の文化的パフォーマンスとなったという。レンタルビデオ店は商業目的の施設であると同時に、文化施設でもあったのだ。

 文化施設としてレンタルビデオ店が大きな役割を担うようになり、中でも専門店の店員は、客が探している映画の場所を教えるといったガイド役だけでなく、品揃えに関しても商業的な観点のみならず、作品の良し悪しの評価に繋がる目利き的なものが求められる。客からの「なにかおススメの映画ある?」「この映画面白い?」といった質問から積極的に会話を重ね、客の好みや要望に合った映画探しを手伝うのだ。

 本書では言及はされていないが、世界一有名なビデオストアの店員としては、80年代にロサンゼルスの「ビデオ・アーカイヴズ」の元店員だった映画監督のクエンティン・タランティーノに触れないわけにはいかないだろう。アメリカで最も有名なビデオストアと呼ばれた「ビデオ・アーカイヴズ」は1994年に閉店したが、その原因として決定的だったのはタランティーノが映画監督としてデビューしたため同店を去ったことだといわれている。

 現在、映画はビデオやDVD、ブルーレイなどのモノから、インターネットを介したストリーミングが主流となりつつある。

 1997年に創業した配信サービスの「Netflix(ネットフリックス)」は当初はホームページでDVDの販売やレンタルを受け付け、郵送で配送と返却を行っていた。しかし顧客にとって郵送では期限までの返却が難しかったため、1999年に月額料金で好きなだけ映画が借りられ、返却日も自由という、今では主流の定額制(サブスクリプション)を導入した。家に居ながら映画をショッピングする慣習を広げ、地理的な制約を乗り越え、さらにインターネットでのストリーミングサービスで国境までも越えて同社が映画を世界中に届けているのはご存じの通りだ。

『ビデオランド』は滅びゆくビデオ時代へのノスタルジーに溺れることなく、映画文化の拡散と定着にレンタルビデオが果たした役割をフィールドワークにより記録した、類書なき大著なのである。

文=すずきたけし

あわせて読みたい