「人それぞれ」が増えるとさみしい? 「人それぞれの社会」がもたらす負の側面

社会

公開日:2022/2/17

「人それぞれ」がさみしい
『「人それぞれ」がさみしい 「やさしく・冷たい」人間関係を考える(ちくまプリマー新書)』(石田光規/筑摩書房)

「人それぞれだから」という言葉を聞くことが増えたように感じるのは、私だけではないと思う。「人それぞれ」という言葉は便利だ。他者と意見が合わなくても衝突せず、ゆるくつながっていられる。しかし、功があれば罪もあるらしい。

『「人それぞれ」がさみしい 「やさしく・冷たい」人間関係を考える(ちくまプリマー新書)』(石田光規/筑摩書房)は、「人それぞれ」という言葉には、一見、相手を受け容れているようでいて、距離をおいているような複雑な語感がある、と指摘する。本書によると、日本では1990年代後半から「社会の個人化」が進み、「人それぞれ」が浸透し始めた。社会が物質的に豊かになり、人権思想や自由主義に代表される「個人を重視する思想」が育まれ、人が一人で生きていけるような環境が整った。しがらみとも言い換えられるさまざまな「生活維持のために必要なつながり」から人は解き放たれ、自分で生き方やつながりを選べるようになった。

「個が尊重」される社会では、いわゆる「べき論」を使って「男性ならこうあるべき」「部下なら…」「社会人なら…」など、カテゴリーを持ち出して相手の行為や主義・信条に申し立てをすることが難しい、と著者は述べる。そこで、相手を否定しない、傷つけない、場を円滑にやり過ごすためのコミュニケーション技法として「人それぞれ」が有効性を発揮し始めた、というのだ。

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 さて、日本人はつながりを維持するために、「生活維持の必要性」という接着剤に代わって、新しく「感情」という力に頼るようになった、と本書。例として、新旧の名作映画を比較して現代作品における感情表現の濃密さに触れながら、若者を中心にお互いの好き嫌い・良し悪しという感情でつながりをつくり出している、と指摘している。SNSでのつながりをイメージするとわかりやすそうだ。

 本書によれば、感情によるつながりは、自由につながることができる気楽さがあると同時に、ちょっとしたきっかけでつながりから切り離される不安を常にはらんでいる、という。大切なつながりであればあるほど相手と衝突することを避けたい気持ちから「人それぞれ」を使うが、この言葉は、発せられると互いに踏み込んでよい領域を区切る“さみしい”ニュアンスも含んでいるため、話し合いや意見をぶつけ合った先にある深い相互理解や共感が得られにくい。「冷たいやさしさ」とも言い換えられるだろうか。

 本書ではさらに、「人それぞれの社会」だからこそ生み出される社会的ジレンマ、格差拡大、弱者冷遇、ハラスメントの境界線、自粛警察に見られる迷惑センサーの蔓延など、現代の生きづらさに言及していく。

 日本人は長い年月をかけて「一人」になる自由を手に入れ、理不尽な要求や搾取から逃れられるようになったものの、異質な他者はつながりの不協和音として追いやられたり、誰かと付き合うには自身もそれに足るだけの理由が求められるなどのデメリットにも直面し、「一人」になる自由をまだもてあましている、と著者は本書で述べている。

 一人ひとりが、異質な人や、大切な人の異質な側面に対して、「人それぞれだから」と冷たいやさしさで目をつぶるのではなく、本当の意味で受け容れようとすこしでも努力をすることで、生きやすい社会が近づいてくるように思える。

文=ルートつつみ (@root223

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