創立100周年! 江崎グリコの看板菓子「グリコ」が“一粒300メートル”になったワケ

ビジネス

更新日:2022/2/25

日本の企業家12
『日本の企業家12 江崎利一 菓子産業に新しい地平を拓いた天性のマーケター』(宮本又郎/PHP研究所)

 2022年2月11日に大手製菓メーカー・江崎グリコが創立100周年を迎えた。“グリコ”の愛称で親しまれる同社は、両手をあげてゴールする男性のパッケージも印象的なおまけ付きの栄養菓子「グリコ」の発売で知名度を獲得。その後も「ポッキー」や「プリッツ」など、老若男女が愛するお菓子を世に提供してきた。

 1世紀にわたり人々を笑顔にする企業を創ったのが、実業家・江崎利一氏だ。1882年に佐賀県で生まれた江崎は、少年期に家業の薬種商などに従事。1919年、地元に近い有明海沿岸でカキの煮汁が廃棄されているのを見かけ、カキに含まれるグリコーゲンを使った栄養菓子「グリコ」の事業化をひらめいた。

 その生涯を追った書籍『日本の企業家12 江崎利一 菓子産業に新しい地平を拓いた天性のマーケター』(宮本又郎/PHP研究所)から感じられるのは、江崎氏ならではのビジネス哲学。その中から、江崎氏のこだわりが感じられる「グリコ」にちなむ名称やキャッチフレーズにまつわるエピソードを紹介していく。

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3文字のシンプルな商品名。「新製品」にかけた江崎の思い

 栄養菓子「グリコ」のキャッチフレーズは“一粒300メートル”だ。のちに同社の代名詞となったこの言葉。決まるまでの過程には、江崎氏のユニークさと研究熱心な姿勢があらわれていた。

 開発当時、江崎氏はネーミングにこだわっていた。ハート型のキャラメルである「グリコ」も、江崎氏が名付けたものだ。当初、社内では「グリコキャラメル」という名称案が挙がっていた。すでに同業他社が「森永キャラメル」や「明治キャラメル」を販売していたからだ。

 差別化のためにと社内では異なる名称案が挙がっていた中、氏は「自分たちの製品は『栄養菓子』でありキャラメルではない、先発会社のものとは異なる、新製品であることを強調する名前でなければ先発会社に勝てない」として自説に固執。短くシンプルな商品名は広告での響きもよく、多くの人たちに浸透していった。

キャッチフレーズは「深く記憶に残るものでなくてはならない」

 さらに、江崎氏がこだわったのが“一粒300メートル”のうたい文句だった。キャッチフレーズの重要性について「簡潔で、しかも力強く、人々が興味を覚え、一度聞いただけで深く記憶に残るものでなくてはならない」と考えていた江崎氏。当時、ヒントを与えてくれたのが、地元の佐賀県で販売されていた大粒のアメ玉だった。

 アメ玉には「一粒ほおばって汽車に乗ると博多まで溶けない」という思いを込めたキャッチフレーズ「博多まで」が使われていた。この言葉をヒントに江崎は「一粒○○メートル」のキャッチフレーズを考案。しかし、当初は「○○」にどれほどの数字を入れるか悩んだ。

 500メートルでは「ちょっと大げさすぎる」と感じ、100メートルでは「弱い」と考えた江崎氏。300メートルにすれば「語呂もいいし、真実性もある」と決めたが「実が伴うべき」として、軍医に相談の上で、実際の一粒で300メートル走るのに見合うカロリー量を得られるよう定めた。

 のちに江崎氏は、このキャッチフレーズについて「自分でいうのもおかしいが、最高の傑作だったと思っている」と述べたという。今なお同社の代名詞となっていることからも、誰もが認めるはずだ。

 世の中には「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という格言もある。創業から1世紀経った今も愛される商品を数多く手がけてきた江崎氏の歩みは、現代ビジネスパーソンの生き方にも通じる。本書から、仕事へのヒントをつかみ取ってほしい。

文=カネコシュウヘイ

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