“不倫”ってなんでいけないんでしょうか? 倫理学をたよりに“ひとのみち”を学ぶ

暮らし

公開日:2022/3/3

半径3メートルの倫理
『半径3メートルの倫理』(オギリマサホ/産業編集センター)

 私たちはふと、つかみどころのない悩みにぶち当たる瞬間がある。仕事やプライベートでの悩みから世の中にある壮大なテーマに対する悩みまで…。何かしら具体的な方法で解決できればよいが、人として生きていると、得体の知れない悩みを頭の中で延々と考え続ける日もあるはずだ。

 そんな状況から抜け出すヒントを与えてくれるのが、倫理学をテーマにした書籍『半径3メートルの倫理』(オギリマサホ/産業編集センター)だ。倫理学と聞くとハードルが高いイメージもあるが、ユニークなイラストも目立つ本書の語り口は軽快。誰もが一度は抱いたことがあるような悩みに、丁寧に答えてくれる。

電車でわめきちらす老人…。自分の“正義”をなぜ振りかざす?

 倫理を担当する高校教師が、人の倫理を説いた先人たちの言葉も借りながら悩みにアドバイスする本書。例えば、そのひとつが「正義をふりかざして大騒ぎをする人には、どう対応すればいいですか?」という問いへの回答である。

advertisement

 始発駅で電車に乗った相談者は、空いているシートに座り発車を待っていた。しばらくすると、斜め前に座る老人がシートに座りスマホをイジっていた若者に「オラ!」「ダメだ!」と怒鳴っていた。そして、別の日にも似たような光景を見かけた。同じ老人が今度はスマホを見ていた女性に「わかってんのかっ!」と叱りつけていた――。

半径3メートルの倫理 P011
(C)オギリマサホ/『半径3メートルの倫理』p.11より

 本書がまず説くのは、老人の頭には「スマホ=悪」の構図ができあがっていたという可能性だ。価値観は時代と共に変わる。しかし、誰もがいっぺんにアップデートできるわけではない。こうした事態は他の場面でも起こりうるのは想像にたやすい。

 そこで紹介されているのが、生物学者の池田清彦による「規範はフィクションである」という言葉だ。本書は「道徳を不変なものであるかのように振りかざす人々の心の奥底には『他人への快楽への嫉妬』があり、それを道徳にすり替えて正当化しているに過ぎない」という、池田の指摘を紹介。先述した老人の事例でいえば、老人のなかには「見慣れない機器を使用しているのが気に食わない」という気持ちが「電車内でスマホを使うな!」とという言葉に転化された可能性があるという。

 そして、本書はさらに「なぜ道徳を声高に叫ぶ人たちは大抵怒りを伴うのでしょうか」という問いかけをする。これに対する答えを唱えたのがローマ帝国の哲学者・セネカだ。

 人の怒りについて、セネカは「怒りとは、不正に対して復讐することへの欲望である」と定義したという。私たちが怒るのは「他者が正しくないことを行っている」という気持ちがあるから。そして、怒っている人と向き合うときはその怒りを「遅延」させるのが「最良の対処法」であると挙げた。怒っている人を言葉でいさめるのではなく「激情は時の経過とともに収まっていく」と心がけておく。嵐が過ぎ去るのをじっと待つかのように、その場をやり過ごすのも大切というわけだ。

倫理の「倫」は「ひとのみち」。ならば「不倫」は“悪”なのか?

 もうひとつ、誰もが一度は感じたことがある疑問に対し、倫理学がどう応じているのかを紹介していきたい。

 いつの時代も、人びとの関心を強く引きつける「不倫」の問題。芸能人のスキャンダルも目立つが、世の中には「人は結婚したら、一途にずっと同じひとりの人を愛し続けなければならず、途中で寄り道したりするのは“悪”なのでしょうか?」という問いもある。

 そもそも「不倫」とは何を意味するのか。2文字目の「倫」は「ひとのみち」を意味する漢字であると著者はいい、さらに「本来『不倫』とは不道徳な行為全般を指し示す言葉であったはずが、ことほどさように『既婚者が配偶者以外の人間と不適切な関係を持つこと』として浸透している」と、社会通念上の認識の変遷があったことを示唆している。

 不倫は果たして“悪”か否か。この問題を考えるには、結婚という制度について考える必要もある。かつて批評家の小浜逸郎は、結婚を「社会的な行為」と定義づけたという。この言葉を受けた本書では、結婚制度ができた背景について「そもそも人間の性愛意識は無秩序かつ暴力的なものであり、それを野放しにして社会が崩壊するのを防ぐために結婚制度が作り上げられた」と説明している。加えて、不倫の背景にあるような「にわかに燃え上がったり移ろったりする『感情』とは性質を異にするもの」とも述べている。

半径3メートルの倫理 P017
(C)オギリマサホ/『半径3メートルの倫理』p.17より

 現状、不倫は「不貞行為」という夫婦間にある「義務不履行の問題」として扱われているため、社会的に罰せられるものではない。この現実について本書は「それは不倫が『心の問題』であり、本当は制度で縛ることができないものだということに、皆薄々気づいているからではないでしょうか」と問いかける。

 ただ、だからといって“不倫は悪ではない”とも言い切れない。それは、不倫するため配偶者に「今晩は仕事で遅くなるよ」と連絡して不倫相手と密会するなど、嘘がともなう可能性もあるからだ。

 この嘘について、かつて言及したのがドイツの哲学者・カントだ。カントは「いかなる場合にも嘘をついてはいけない」と主張した。この言葉を受けた本書は、嘘は「言表(言葉で言い表すこと)一般の信用をなくさせ、人間性一般に害を与える行為」と述べる。

 嘘をついたあと、バレるかどうかが問題となるわけではない。「不倫」の本来の意味が“人の道にあらず“である以上、嘘をつくことそのものが不道徳=不倫であることに変わりはないというわけだ。

 倫理学と聞くと難しいと思う人もいるかもしれないが、本書を読むとそのイメージも吹き飛ぶ。情報がいともたやすく手に入る現代では、誰かの声に左右され過ぎて、八方ふさがりになる瞬間も多々ある。“物事の答えは意外と単純かもしれない”と気づかせてくれる本書は、私たちの生きる道しるべとなるはずだ。

文=カネコシュウヘイ

あわせて読みたい