第56回吉川英治文学賞受賞!あなたはこのことを知っていましたか? 社会を変える力をもった傑作小説『やさしい猫』

文芸・カルチャー

公開日:2022/4/12

『やさしい猫』(中島京子/中央公論新社)

 中島京子氏の長編小説『やさしい猫』(中央公論新社)は、シングルマザーの「ミユキ」と娘の「マヤ」、そしてミユキと結婚を約束したスリランカ出身の「クマラ」の3人を軸に、外国籍の人々が日本で暮らすという過酷な現実を描く。

“きみに、話してあげたいことがある”

『やさしい猫』はこの言葉から始まる。本書は、日本という国が日本人ではない人々にとても不条理で残酷な制度を突きつけてくることを知るハードな内容だが、主人公のマヤが、家族に起こった過酷な出来事を思い出話のように語ることで、この物語が終わりのない闇をもって完結するのではなく、その先には光と希望があることを読者に予感させる。

 また、マヤの語りかけは「あなたはこのことを知っていましたか」という読者への大きな問いかけとなり、日ごろ街で見かける外国の人たちが日本人と同じように暮らしているのではないという現実を、本書は教えてくれるのである。

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 物語の中で多くの人が初めて知ることになるのが、日本で暮らす外国人はみな日本政府が発行した在留カードを所持しているということだろう。これは日本に住む“資格”が記された身分証明書で、クマラは「技術・人文知識・国際業務」という内容の在留資格のため、それ以外の仕事に就くことができない。そしてこの在留カードには期限があり更新が必要だが、その更新を怠ると国外退去となってしまう。つまり不法滞在(オーバーステイ)である。また失業した場合も資格以外の職種に就くことができないため、生活するためにアルバイトをすることさえ違法となってしまう。

 スリランカ出身のクマラは、在留とミユキへの愛情のはざまで悩み、大きな苦難に直面してしまう。

 そして本書では、クマラに対する入管(法務省入国管理局)という役所の制度的な冷酷さが浮き彫りとなり、日本でこのようなことが本当に起こっているのかと読者は驚くだろう。なんの罪もない外国人をまるで犯罪者であるかのように長期間入管の施設に収容し、幾度もの取り調べは過酷を極める。また制度上、収容を免れて仮放免となっても正規の滞在許可ではないので仕事に就くこともできず、健康保険に加入できないので医療費は全額自己負担。そして、住まいの都道府県外に移動するには入管への申請が都度必要となり移動が大きく制限されるという。

 日本に住む外国人を極力排除しようとする入管の排外主義的な制度とマインドはあまりにグロテスクで憤りを禁じ得ない。

 実際に2021年3月にはスリランカ人のウィシュマ・サンダマリさんが入管施設に半年間収容され亡くなるなど、その制度と肥大した入管の「裁量」が問題となっている。

 本書の入管の場面を読んでいて思い起こされるのは、ナチス政権下の役人アドルフ・アイヒマンである。忠実に仕事をこなしただけの平凡な人物であったこの男は、国家の制度に盲従し人間性を失い、多くのユダヤ人を絶滅収容所へ送り込んでいた。戦後、哲学者であるハンナ・アーレントはこの行いを「凡庸な悪」と呼んだが、人間性のかけらも感じられないこの入管の冷酷さと重ねてしまう。

 これは日本で暮らす外国人たちの制度への飛躍した喩えでは決してない。現実でもあるのだ。

 また外国の人が日本人と結婚すること自体が永住権目的と疑われるという不条理。司法の場で、ただ日本で生活するためだけに「愛」を「証明」しなければならないことは、日本人ではありえないことだ。

 物語のタイトルとなった「やさしい猫」とはクマラさんが話すスリランカの童話である。

 3匹の子ねずみたちの両親が猫に食べられてしまう。子ねずみたちと出会ったその猫は食べたねずみにも子どもがいることを知り後悔して子ねずみたちを育てる。

 はたして猫は残酷なのか、やさしいのか。

 また本書に登場するスリランカ大統領の言葉がある。

“人はただ愛によってのみ
憎しみを越えられる
人は憎しみによっては
憎しみを越えられない”

 童話「やさしい猫」と大統領の言葉を重ねると見えてくるもの。『やさしい猫』にはそれが満たされている。

“きみに、話してあげたいことがある”

 マヤが語りかけているその先には、希望の光が差している。

文=すずきたけし

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