「超○○」「オレオレ詐欺」…あの言葉はなぜ生まれ、なぜ消えていった? 酒井順子氏が、流行りすたりの激しい言葉の変遷をたどる!

文芸・カルチャー

更新日:2022/5/2

うまれることば、しぬことば
『うまれることば、しぬことば』(酒井順子/集英社)

『負け犬の遠吠え』がベストセラーとなったエッセイスト、酒井順子氏の新刊は『うまれることば、しぬことば』(集英社)。書名の通り、ある言葉が流行っては廃れていく現実を観察/考察/洞察し、その背景にある時代状況をつぶさに探った本である。

 言語の推移で最も分かりやすい例は、「超○○」という表現。超という言葉は元々「超人」「超越」のように、「○○を上回るものであって、○○ではない」といったニュアンスを孕んでいた。それが90年代末あたりからvery muchという意味で使われ、「超むかつく」「超怒る」「超ウケる」など、バリエーションが増えていった。そして今では、「めっちゃ○○」という表現が主流になった感がある。

 ある言葉が流行るかどうかは、ネーミングのセンスによるところが大きい。著者はそう指摘する。「ひきこもり」「老老介護」といった言葉が脚光を浴びたのは、語感がキャッチーだったのも一因だろう。新手の詐欺が次々に現れるようになっても、結局「オレオレ詐欺」だけが脳裏に残った、というのは筆者だけではあるまい。

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 一方、名付けづらいまま放置されている事象もある、と著者は言う。例えば、母親側の連れ子を恋人や再婚相手が虐待するケースは多数あり、映画やドラマで描かれることがあっても、具体的には命名されてはいない。命名されないことで、その実態が不透明のままで温存されてしまう事例もある、と著者は指摘する。

 あるいは、セクシャル・ハラスメントが「セクハラ」と略されなかったら、ここまで広まらなかったかもしれない。「女流棋士」「女医」「女社長」「キャリアウーマン」といった言葉が淘汰されていったのは、フェミニズムが盛んになったMeToo以降の想像力と無関係ではないだろう。

 また、「セクハラ」という言葉が浸透してから、他人に不快なことをされたら「これは○○ハラ」だと、声を上げることが可能になった。パワハラ、マタハラ、モラハラ等々と様々な活用がなされているし、性的マイノリティが「LGBTQ」と呼ばれるようになったのもここ数年のことである。

 ラブソングにおける二人称が昔と今では大きく異なる、という著者の論も説得力がある。今なら「君」や「あなた」が主流だが、当時は歌の中で女性を「お前」と呼ぶ表現が頻繁に使われていた、というのだ。1979年リリースの沢田研二「カサブランカダンディ」では、男性が女性の頬を張り倒す光景が冒頭で歌われる。

 一方で不思議でならないのは、前時代的な言い回しが消えてゆく中、「男らしくない」「男のくせに」「男たるもの」といった言葉が生きながらえていること。批評家の杉田俊介氏は『ドラえもん論 ラジカルな「弱さ」の思想』(ele-king books)の中で、ジャイアンが男らしさの呪縛を背負っていることを指摘している。映画『ドラえもん のび太の大魔境』で、ジャイアンは自分の失敗を「男らしく」背負おうとするのだが、それができずにひとりで苦しむ。弱さを見せられず、陰で泣いているのだ。

 本書を通読して最も感じ入ったのは、男女同権が切実に求められる昨今の空気により、物凄いスピードで言葉が更新されている、ということ。あるいは、現状に言葉がようやく追いつきつつある、というべきかもしれない。

 著者によれば、アメリカでは、「he」や「she」に当てはまらないジェンダーを指す場合は、「they」が使われているという。日本でも「彼」でも「彼女」でもない人たちを指す言葉が必要とされる時が訪れるかもしれない。いや、我々は既にそうした時代のステージに立たされているとも言えるのではないだろうか。

文=土佐有明

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