横山光輝を中心に、吉川英治、羅貫中、陳寿まで…『三国志』の魅力を徹底解説する1冊

文芸・カルチャー

公開日:2022/4/13

横山光輝で読む三国志
『横山光輝で読む三国志(潮新書)』(渡邉義浩:著、横山光輝:イラスト/潮出版社)

 子どものときからハマるファンも少なくない、横山光輝による漫画『三国志』。数多くの英雄たちが登場し、さまざまな謀略が張り巡らされ、勢力がめまぐるしく変化するにもかかわらず、漫画だけにスイスイと世界にのめり込んでいける。1800年の時を経てもなお『三国志』が支持される理由を探る『横山光輝で読む三国志(潮新書)』(渡邉義浩:著、横山光輝:イラスト/潮出版社)から、三国志の魅力を再発見したい。

 本書では、読者が共に横山『三国志』の世界を読み進めつつ、吉川英治から湖南文山、羅貫中、陳寿までの『三国志』の独自性や魅力にも触れながら、三国志を俯瞰的に総復習できる。

 ファンにとっては常識だが、三国志は陳寿による歴史書『三国志』を起源とし、やがて幾度もの変遷を経ながら物語化が進んでいった。著者は、横山『三国志』について、歴史書『三国志』や、横山光輝が大いに影響を受けたとされる吉川英治『三国志』をそのまま漫画化したものではなく、自らの歴史観に基づいて物語に改変を加えている、と説明している。

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 ところで、そもそも日本にはいつ、三国志が入ってきたのだろうか。

 本書によると、すでに空海の文章には諸葛亮への言及があるそうだ。また、

順治七(1650)年の序を持つ満州語版に次いで、世界で二番目となる『三国志演義』の完訳である『通俗三国志』は、元禄四(1691)年九月に西川嘉長の賛助を得て、京都の栗山伊右衛門によって刊行された。

 と本書で述べられるとおり、日本人は古くから三国志と付き合ってきた。

 本書は、今の私たちが知る「三国志」の方向性を定めた者は吉川英治だと述べる。吉川英治の『三国志』の連載が始まってまもなく第二次世界大戦が勃発。泥沼化した日中戦争の中、吉川英治が、忠君愛国思想一色には染まらず、曹操のスケールの大きな人間像と、諸葛亮の抜群の才知と比類なき忠誠心を描いたことを、本書は評価している。これを「学校の図書館で読んだこと」で感銘を受けた横山光輝は、「武将たちの戦争絵巻」を目指して、やがて制作に没頭していった。ちなみに、吉川英治・横山光輝の両『三国志』には、英雄のひとり・劉備の母親が登場するが、三国志演義を翻訳した立間祥介版には母が登場しないそうで、著者は「本家の『三国志演義』を超えて、【母のいる三国志】は、日本人の心に深く根付いている」と綴っている。

 さて、三国志の最大の見せ場のひとつでもある「赤壁の戦い」について、本書の解説を簡単に見てみたい。

 横山『三国志』も含めた『三国志演義』を根っこにする三国志では、火攻めの発案者は諸葛亮と周瑜ということになっているが、史書によれば呉の武将・黄蓋の提案ということになっているらしい。黄蓋は、火攻めの発案を取り上げられた代わりに、「苦肉の計」という見せ場が与えられた。

 また、諸葛亮は火を曹操軍に向けるため、通常は吹かない風を呼んだ。本書は、横山『三国志』では諸葛亮が「潮流と南国の気温の関係から起こる貿易風」を気象の観測で知っていたとしており、これは吉川英治『三国志』の継承であることを指摘すると同時に、『三国志演義』では別の解釈がされていることも紹介している。『演義』がまとめられた明代には、『秘蔵通玄変化六陰洞微遁甲真経(ひぞうつうげんへんげりくいんどうびとんこうしんけい)』という道教経典があり、ここに記された道術を会得すると「風を呼ぶ」ほかの術を行うことができたそうだ。つまり、諸葛亮はこの経典を会得していた、と明記しているらしい。風を呼ぶには、あるポーズを取り…北斗七星の形にステップを踏み…上下の歯をカチカチとかみ合わせ…などと具体的な手順まで紹介されているが、これについては本書に当たってもらいたい。

 三国志には、生き方や哲学ほか、さまざまな魅力が詰まっている。三国志ファンだけでなく、これから三国志に触れたいという人、三国志に興味がある人など、幅広い人に本書を手に取ってもらいたい。

文=ルートつつみ (@root223

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