塩害におかされた世界を舞台に描かれる、有川ひろのSF小説『塩の街』を弓きいろがコミカライズ! 窮地に追い込まれた時、あなたならどうする?

マンガ

公開日:2022/4/16

塩の街
『塩の街~自衛隊三部作シリーズ~』(弓きいろ/白泉社)

 有川ひろ氏原作のコミカライズ『図書館戦争 LOVE&WAR』シリーズが13年にわたる連載を終え、弓きいろ氏が描きはじめたのは『塩の街~自衛隊三部作シリーズ~』(白泉社)。4月5日に1巻が刊行されたばかりの同作の原作は、2004年に刊行された『塩の街』(角川文庫/KADOKAWA刊)。塩害におかされた世界を舞台に描かれるSF小説で、有川氏のデビュー作でもある記念すべき作品だ。

〈街中に立ち並び風化していく塩の柱はもはや何の変哲もないただの景色だ〉というモノローグから始まり、重たそうなリュックを背負い足をひきずりながら荒れ果てた新橋を歩くひとりの青年・遼一。空腹に耐えかねて倒れたところを真奈という少女に拾われ、彼女の家の大家だというこわモテの男、秋庭に助けてもらうのだが、やがて、塩害というのが、ただ街が塩に覆われた状態をさすわけではない、ということがわかってくる。

 屹立する塩の柱は、かつて人間だった誰かの残骸。日本全土で突如はじまった、人間を塩の塊へと変えていくその現象は、またたくまに関東圏の人口を3分の1まで減らし、人々の生活を破壊した。原因も予防法も分からない、明日は我が身かもしれない、その恐怖との共存が日常となったその世界の描写は、刊行当時よりもいっそう、読む人に迫りくるものがあるのではないだろうか。

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 いや、刊行当時だって、本当は、他人ごとではなかったはずなのだ。人々を死に至らしめる理不尽な病は、いつだって私たちの身近に潜んでいた。だからこそ小説を読んだ読者は、突然死に向き合わざるを得なくなった人々の葛藤や狂乱に、自分だったらと重ね合わせてふるえ、涙した。

 でも、それでも、本当に我が身にふりかかることを想像した人たちは、いったいどれほどいただろう。それが恋愛感情だと気づかないくらい当たり前にそばにいた相手が、目の前で自分への愛をつぶやきながら命を失っていくことの絶望。それでも、自分も病におかされるかもしれないことを承知で、最後の最後までそばにいたいという願い。犯罪者だからと、非常時には人間の数にも入れてもらえず、虐げられて死ぬしかなかった人々。与えられるはずだった罪をつぐなうチャンスを奪われたまま、恐怖に支配されて暴力の凶行に走ってしまうこと。そのどれもが真に迫って、読むたび苦しくなってしまう。

 自分さえよければいい、という身勝手が非難されて当然なのは、平和な世界のなかだけの話だ。困っている人、悲しみにあえいでいる人に、手をさしのべずにはいられない真奈だって、心の底では、自分だけはきれいでいたい、醜いものなんて何ひとつみたくない、と願っている。そんな自分の欺瞞を承知しながら、いつか自分も、恐怖に支配されて他者を害するのではないかと怯え続けている。

 窮地に追い込まれたとき、人を踏みとどまらせるものはいったい、なんだろう? いてもたってもいられなくて、何度も読んだはずの原作を改めて読み返してみた。答えは当然、見つからない。けれど現代でこの作品をコミカライズすることに挑もうとする弓氏の覚悟には、読み比べることで少し触れられた気がする。マンガにしかできない表現でラストに誘われたとき、読み手の心にはいったいどんな想いが去来するのか。2巻以降も心して読みたい。

文=立花もも

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