自分を殺して生きるのはもうやめた! 人間関係に悩む10代に捧げる青春ラブストーリー『青春ゲシュタルト崩壊』

文芸・カルチャー

公開日:2022/4/21

青春ゲシュタルト崩壊
青春ゲシュタルト崩壊』(丸井とまと/スターツ出版)

 嫌なことを言われても、怒らず笑顔でやり過ごす。面倒な頼まれごとも、断りきれずに引き受けてしまう。人間関係で板挟みになり、なんだか心が疲れやすい。そんな傾向がある人は、「青年期失顔症」に要注意。自分を殺して生きていると、好きなものもやりたいこともわからなくなり、いつしか自分の顔を認識できなくなるかも……?

 と、ここまで読んでドキッとした人は少なくないはず。だが、実を言えば「青年期失顔症」は、『青春ゲシュタルト崩壊』(丸井とまと/スターツ出版)に出てくる架空の病気。そう、これは自分を見失った高校生が、悩みもがきながらも自身の生き方を取り戻す物語だ。

 高校2年生の間宮朝葉は、責任感が強く、周囲から頼られやすい優等生。小学生の頃から「宿題を写させて」と頼まれ、今もバスケ部では、関係が悪化している1年と2年の仲を取りもち、顧問の先生に意見を言う役割も押しつけられている。そのうえ、母親からは「いい大学に入りなさい」「部活は3年間続けなさい」とプレッシャーをかけられる日々。いつしか本音を飲み込むことにも慣れ、自分の本心も見失っていた。

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 そんなある日、朝葉の体に異変が起きる。鏡に映る自分の顔から目も鼻も口もなくなり、のっぺらぼうのようになってしまったのだ。他人からは普通に見えているのに、自分の顔が見えなくなる、それが「青年期失顔症」。個性を殺し、自分を見失うことが強いストレスになると発症する青年期特有の病だ。朝葉が通う高校でも数名の生徒が発症しており、病状を知った周囲の人々からは「今まで自分を偽っていたんだ」「周りに合わせていい顔していたのか」と冷たい目で見られていた。朝葉自身も「青年期失顔症」は心の弱い人がなる病気だと思っていたため、親にも友達にも打ち明けられない。しかし、偶然にも同級生の朝比奈聖に発症を知られてしまう。

 髪を金色に染め、自分の考えをはっきり言う聖は、周りに合わせて生きている朝葉とは対照的な存在。てっきり自分は軽蔑されるだろうと身構える朝葉だったが、聖は「疲れたら休んでもいいんじゃねぇの」と言って、学校から連れ出してくれる。その後も「間宮はどうしたいんだよ」「自分を見失ってまで部活って続けないといけねーの?」とハッとするような言葉を投げかける聖。そんな彼に支えられながら、朝葉は本当にやりたいこと、好きなことは何か、自分自身に問い直していく。

 朝葉が部活の人間関係に悩み、八方ふさがりになっていくさまは読んでいて息苦しいほど。それでも嫌われたくなくて、笑顔を取りつくろい、無理を重ねてしまう彼女の気持ちも痛いほどわかる。作中では、心が限界を迎えた状態を「青年期失顔症」として描いているが、症状が目に見える分だけまだ救いがあるのではないか。実際には、朝葉と同じように追い込まれているのに自分の状況を自覚しきれず、ギリギリのラインで踏みとどまっている人もいるだろう。

 作中では、そういう人々の頑張りを認めたうえで、どうすれば肩の荷を下ろせるか、生きるためのヒントを与えてくれる。今いる場所は、狭い水槽にすぎない。大事なのは、広い世界に目を向けること。そして、つらいこともうれしいことも打ち明けられる相手を持つこと。学生はもちろん、企業で働く社会人の心にも深く響くメッセージを伝えてくれる。

 と言うと、なんだかお堅い小説に思えるかもしれないが、けしてそんなことはない。朝葉と聖の甘酸っぱい恋も描かれ、終盤はニヤニヤが止まらない。自転車にふたり乗りして、ギュッと抱き着くようなキュンとするシーンも盛り込まれている。思春期女子が自己を確立する成長物語として、ピュアな青春ラブロマンスとして、さまざまな角度から楽しめる小説だ。

文=野本由起

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