「幸村」とは、何者なのか――。直木賞作家・今村翔吾が描く、真田幸村と大坂の陣の謎をめぐる傑作歴史小説

文芸・カルチャー

公開日:2022/4/22

幸村を討て
幸村を討て』(今村翔吾/中央公論新社)

「名前」というのは、名づけた人の想いが込められているものである。それは昔も今も変わらない人間のごく自然な営為だ。……だとすると、「幸村」という名には、どのような想いが秘められているのだろうか。

幸村を討て』(今村翔吾/中央公論新社)は、豊臣と徳川の最後の決戦である、大坂の戦い(大坂の陣)を舞台に、幸村という名前の謎が、合戦に関わった人々の物語と共にひもとかれていく――群像劇であり、ヒューマンドラマであり、ミステリー要素もある……まとめると、「とにかく面白い」小説である。

 本作の主人公・真田幸村については、大河ドラマになったこともあるのでご存じの方も多いはず。本来の名前は「信繁(のぶしげ)」だが、現代に伝わった名前はなぜか「幸村」であった(諸説あるが、後世の創作物で幸村とされ、それが広く普及したらしい)。

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 そして最近のドラマや小説などでは「大坂城に入る前、『信繁』から『幸村』に改名した」というのが定説として描かれることが多い。本作もその説であり、信繁は大坂の戦いが始まる前、幸村と名乗りを変えたのである。

 本作の魅力はさまざまにあるのだが(「家族」というテーマ、史実や伝承の新解釈、構成、文章の読みやすさ、個性豊かな登場人物たち等々)、そのひとつは「幸村とは何者なのか?」というミステリー要素ではないだろうか。

 此度の合戦において、敵方の徳川家康はある「異変」に気づく。その「不可解さ」はあらゆる場面、人物に散らばっているのだが、一番は豊臣方でもっとも活躍し、自らを極限まで追いつめた当代きっての武将、真田幸村の存在だ。

 幸村は実戦経験もほぼなく、前情報ではそれほど優れた人物ではないはずだった。しかし大坂の戦いでの彼は、まるで「智に長けた者、武に長けた者、二人の人格が幸村に宿っている」かのようだった。

 家康は、死んだはずの幸村の父、策略家の昌幸(まさゆき)が実は生きているのではないか、もしくは、幸村は信繁ではなく、「第三の人物」なのではないかと疑念を抱く。さらに幸村は、自分を討ち取ることもできたはずなのに、敢えて「生かした」のである……。そういった不可解な謎を解き明かすため、戦後、家康は事情を知っていると思われる証言者6人の事情聴取を行うことに。

 以降、6人の視点から物語が紡がれていく中で「大坂の戦いで、一体何が起こっていたのか?」が、徐々に明らかになっていく。

 6人は、豊臣方の総大将でありながら、家康に内通していた織田有楽斎(おだ・うらくさい)。

 凄腕の忍びを駆使し、手柄を立て価値を高めた上で、徳川方に自らを売り込もうと画策する南条元忠(なんじょう・もとただ)。

 この戦いで死に花を咲かせ、後世に名をとどろかせようとする後藤又兵衛(ごとう・またべえ)。

 天下統一という夢を抱きながらも、現状に甘んじている伊達政宗(だて・まさむね)。

「約束」を守るため合戦に加わった毛利勝永(もうり・かつなが)。

 徳川方として生きる幸村の兄、真田信之(さなだ・のぶゆき)。

 彼らには彼らの「想い」があり、「戦い」があった。一人一人の生き様が骨太な読みごたえなのだが、その話が綴られる中で、幸村の謎――真田一族の願いが明らかになっていくという展開がまた秀逸である。

 家族の絆のため、命を賭して戦った真田一族のカッコよさにとにかくシビれた。個人的には毛利勝永のストーリーもかなり……かなり、好きだ。多くの歴史小説を読んできたが、間違いなく最高傑作のひとつだと思っている。ぜひこの物語に酔いしれてほしい。

文=雨野裾

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