口裂け女、検索してはいけない「コトリバコ」…1970年代以降から現在まで! 吉田悠軌が「怪談」の恐怖と変化に迫る

文芸・カルチャー

公開日:2022/5/21

※この記事には不快感を伴う表現が含まれます。ご了承の上、お読みください。

現代怪談考
現代怪談考』(吉田悠軌/晶文社)

「怪談」といえば、現在で主流なのが「実話怪談」である。

 怪談は昔から存在し、怪異譚ともなると平安時代初期に書かれた『日本霊異記』まで遡る。江戸時代になると、それまでの狐狸妖怪話とあわせて「幽霊」が登場した。人が死に、化けて出る「幽霊」という身近な恐怖の存在は、この世に残した情念や、因果応報的な物語によって人々をさらに怖がらせた。つまり怪談とは人々の日ごろの行いを戒める機能があったのだ。

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 この因果応報的な怪談話は1980年代まで変わることなく続き、怪談は必ず「その場で人が死んでいた」とオチが語られるモノだった。

 しかし1998年に『現代百物語 新耳袋』(木原浩勝・中山市朗/メディアファクトリー※当時)が発売される(1990年に扶桑社から『新・耳・袋―あなたの隣の怖い話』が発売されているが、初版のみ)。

「新耳袋」は、それまでの怪異の原因が語られる「怪談」のフォーマットからオチを省き、怪異になんの説明もない聞き語りという構成にしたことで、「怪談」に真実味をまとわせることに成功し、そしてそれまでの「怪談」を刷新した。現在に続く「実話怪談」の始まりである。

 そして近年、「怪談」の怖さはさらに大きく変容している。その変化の流れを一望できるのが吉田悠軌『現代怪談考』(晶文社)である。

 1970年代以降から現在までの「怪談」と「社会」を俯瞰した本書は、昭和の都市伝説の「口裂け女」から、「八尺様」「きさらぎ駅」といったネット時代のクリーピーパスタ(コピー&ペーストで拡散する怪談)などを考察していく。そして時代とともに変わる「怪談」を俯瞰することで“変わらない”怪談の恐怖の源を浮き彫りにする、

 それが「子殺し」である。

“「子殺し」こそ最大の恐怖を覚える”と著者は語る。例えば、駅のコインロッカーに嬰児が捨てられる事件が続き、これを「母性の崩壊」として取り上げるマスコミが当時多かったという。1970年代前半、そこに当時のオカルトブームが重なり、「口裂け女」登場と結ばれる。

 また、因果応報譚や“間引き”への禁忌が転じたザシキワラシや、難産で亡くなった女性など、子を産めなくなった妖怪である姑獲鳥(うぶめ)など、怪談と子と母の関係を民俗的視点からも深く下げていて興味深い。

 現代怪談のなかでも、子どもを生贄にした呪物「コトリバコ」のネット発祥の怪談は、現代の子殺し怪談の金字塔としてその詳細を解説。

 2005年6月6日、2ちゃんねるオカルト版「死ぬほど洒落にならない怖い話を集めてみない? 9999」に投稿者の体験談として投稿された「コトリバコ」は、多くのスレッドが立てられ、現在でも「コトリバコ」関連のスレッドが見つかるほどだという。

 本書は、矛盾点などを指摘して「コトリバコ」をあくまで投稿者の創作としているが、投稿者が描くその恐怖の種類が、現代日本人に依拠しているものだと語る。

 また、章ごとに挿し込まれるコラム「現代怪談の最前線」からは、有名怪談の元ネタを探ると意外な人物に行きつく「歩く死体を追いかけろ!」や、全国の霊能力者が集合した「岐阜ポルターガイスト団地」のその後など、語られて放置されることがほとんどの現代怪談の貴重な“その後”を知ることができるのも面白い。

『現代怪談考』は、今や消費されていくままの「怪談」にしっかりと目を留めることで、現代日本の深層に巣くう恐怖を表出させた、社会学的な一冊といっても良いだろう。

文=すずきたけし

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