身体を変えた先に見えた「自分」とは? ボディ・ビルにハマるアラサー女子を描いた芥川賞候補作『我が友、スミス』

文芸・カルチャー

更新日:2022/4/29

我が友、スミス
我が友、スミス』(石田夏穂/集英社)

 すばる文学賞佳作を受賞し芥川賞候補にもなった『我が友、スミス』(石田夏穂/集英社)。筋トレに励み、ボディ・ビル大会への出場を目指す女性の姿を描いた作品だ。

 29歳のU野は、毎日同じようなシャツと黒い革靴風のスニーカーで出社する自称・地味な会社員。トレーニング・ジムでひとり体を鍛えていたところ、女性ボディ・ビル界の重鎮にスカウトされ、ボディ・ビル大会への出場を目指すと決める。

 鍛えた分だけ筋肥大(筋肉の増加)につながるトレーニングにやりがいを感じ、頭角をあらわすU野。しかし女性ボディビルダーが大会で勝つためには、肌ツヤやロングヘア、美麗なステージング、笑顔、ハイヒール着用という、女性らしい姿が求められた。化粧や愛想よく振る舞うことが苦手で、女性らしさから解き放たれた「別の生き物」になりたいという動機で筋トレを始めたU野は、葛藤する。

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 ジムでの日常を描く冒頭から、「種目」と呼ばれるトレーニングの種類やマシンの名称など、専門的な言葉が並ぶ。しかし、一般的な女性の感覚を交えた用語解説と、自分を客観視するユーモラスなU野の一人称語りが心地よく、筋トレの世界へと引き込まれる。「ブルガリアン・スクワット」に取り組みながら、その由来やヨーグルトという漠然としたイメージに思いを馳せるU野。同じジムに通うS子のインスタをこっそりチェックし、その内容に「何かしょうもねえな」と感じつつ、もっともしょうもないのはS子から目を離せない自分だと知るU野。自分ツッコミや、口に出して誰に聞かせるでもないからこそマニアックに振り切れた喩えに満ちた心情世界は、共感を誘う。

 筋トレや食事制限、美容など、ボディ・ビル大会に向けて体を仕上げていくステップは迫力に満ち、大会が近づくにつれて、読んでいるこちらの気持ちも高揚する。筋トレは未経験でも、女性ボディビルダーの写真や映像を見たことのある人はいるだろう。ステージ上のあの姿ができあがる過程を追うドキュメントとしても、抜群に面白い。著者は、筋トレはするもののボディ・ビルは未経験で、本書は取材に基づいたフィクションだというが、熟練のトレーニー(トレーニングする人)ほど謙虚な人が多い、「ボディ・ビル」と「フィジーク」の違いなど、素人には知りえないボディ・ビルの裏側も興味深い。

 男女ともに、明確なセクハラを受けたりしたことはなくても、ジェンダーバイアスを意識させる誰かの言葉や社会の習慣に、もやもやしたことがある人は多いのではないだろうか。本書は、逃げていたはずの「女性らしさ」に向き合わされるU野の混乱や成長を通じて、世間の性別に関する「当たり前」に慣れた我々の価値観に疑問を投じる。

 U野は、体を鍛える女性を否定する母に怒った自分は、守るべき自分の世界を確立できたんだと気付いたり、見た目の変化で同僚からの視線が変わるのを感じたりしながら、これまでの人生で抱いてきた違和感の正体を突き止め、自分自身に向き合っていく。本書は、そんなU野と共に、「こうありたい自分」を意識して、偏見に覆われた世界を生きる強さを少しだけ手に入れることができる物語だ。

文=川辺美希

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