“不幸の家”と知らずに家を購入してしまった…! 町田そのこが描く、一軒家に暮らしたさまざまな家族の歴史

文芸・カルチャー

公開日:2022/5/9

うつくしが丘の不幸の家
うつくしが丘の不幸の家』(町田そのこ/東京創元社)

 幸せになりたい、と誰もが思う。けれど幸せって、いったい何なのだろう? 『うつくしが丘の不幸の家』(町田そのこ/東京創元社)に登場する美容師の美保理は“わたしのしあわせは、いつだって誰かにミソをつけられる”と思っている。パート勤めの主婦・多賀子は、家族にトラブルが降りかかっているのは、自分がその前兆を見逃したからではないか、と後悔している。“幸せのしっぺ返しがくるぞ”と親友から言われ続けていた忠清は、離婚届を前にその時がきてしまったのだと、諦めている。

 幸せの総量は人それぞれ決められているわけでもないし、誰かに制御されているはずもないのに、“けっきょく私はそういう運命なんだ”みたいに自分を納得させようとしてしまうのは、細かな原因をいくらあげつらったところで、目の前の現実を必死に生きてきた結果、たどりついた今を、どの時点に戻ってもどうすることができなかった、とわかっているからのような気がする。

 うつくしが丘という名の住宅地に、築25年の3階建て一軒家を購入し、同業の夫と念願の店をオープンさせることになった美保理。引っ越し早々、近所の噂好きのおばさんから「ここが“不幸の家”って呼ばれているのを知っていて買われたの?」なんて言われてしまい、ひどく落ち込んだ彼女は、これまでの人生のあれやこれや――結婚の経緯や、家を完全にリフォームすることはできない貯金のなさ、その原因のひとつであり今なお悩まされる義理の実家問題などを反芻し、自分にはパーフェクトな幸せが訪れることはないのだと絶望していた。そんなとき出会ったのが、隣家の老婦人。この家にいた人たちはみんな不幸そうになんて見えなかった、と憤る彼女とのおしゃべりをきっかけに、美保理はみずからの人生をもう一度、とらえなおすことになる。

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 そうして始まるのが、その一軒家が見てきたさまざまな家族の歴史だ。時代を遡り、老婦人ともかかわりのあった歴代の住人たちが語り手となって描かれていく。第2章・多賀子のパートで、横暴な夫が登場したときは、本をひきちぎりたくなるくらいムカついたし、こんな夫がそばにいたらそりゃ不幸だわ! と思ってしまうのだけど(第5章に登場する夫は、もっと最悪だったが……)、読んでいるとだんだん、人が幸せなのか不幸なのかを決めるのは、目の前の細かな事象ではなく、それに対してどう立ち向かおうとするのか、その人それぞれの姿勢にあるのだということが伝わってくる。

 結婚して、子どもができれば、幸せになれると思っていた。一軒家で、家族みんながゆとりある暮らしができれば、人生はもっと満ち足りたものになっていくと信じていた。けれど、どんな幸せを手に入れたって、それを守るための意地を張らなくてはどうにもならないのだという厳しさも、読んでいるとひしひし、感じる。

 誰に不幸と言われても、自分の幸せは自分で決めるから大丈夫、と胸を張れるようになりたい。少なくともこの先の未来で、自分と大切な人たちを幸せにしていくから大丈夫だと、言える覚悟を身につけたい。そんなふうに背中を押される1冊だった。

文=立花もも

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