「付き合う」という言葉とその先の行動から見えてくる、若者たちの恋愛観と人間観

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公開日:2022/5/11

現代日本の若者はいかに「恋愛」しているのか
現代日本の若者はいかに「恋愛」しているのか―愛・性・結婚の解体と結合をめぐる意味づけ』(大森美佐/晃洋書房)

 恋愛リアリティショーでは「好きです。付き合ってください」と“告白”して交際関係が成立するかどうかが、視聴者の関心を惹きつける。

 こうした「告白」して「付き合う」関係を確定するという儀式を行わない国もある一方で、日本ではこの習慣が強固な「常識」として存在している。

 しかし「付き合う」とはいったいなんなのか。

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 社会学者である大森美佐・東京家政大学家政学部助教による『現代日本の若者はいかに「恋愛」しているのか』(晃洋書房)は、1987~90年に生まれた首都圏在住の4年制大学卒業以上の学歴・正規雇用の(2012年3月~2017年11月の調査時にはいずれも20代の)若者計22名に対して、グループディスカッションおよびインタビューを通じて、恋愛・セックス・結婚に対してどんな意識を抱いているのか、それぞれがどう結びついているのかを分析していく――ここではその内容を少し紹介しよう。

 筆者が本書を読んで印象に残ったのは、「付き合う」をめぐる「常識/慣習」の厄介さだ。

“男”が“女”に「付き合う」と言って関係を確定させるまでの「演技」と「匂わせ」

 同書で分析対象になった若者たちは、「釣る」側の男性と「釣られる」側の女性というジェンダー非対称な構図を前提に、互いにその性別に期待される役割を演じ合いながら「付き合う」に至る関係を模索していく。

 たとえ女性側から実質的にアプローチを開始したとしても、女性が男性に告白するのは望ましいこととは思っていないのだという。

 本書の調査においては、女性のほうは特に、特定の異性といい感じになっていった場合、前提として「付き合う/付き合わない」をはっきりさせるべき、という強い意識がある。

 口には出さずとも、おそらくお互い好き合っているという雰囲気になっているとして、男が女に対して「付き合おう」と確認して関係を確定するべきだ、という規範意識があるようだ。

 だから契約を成立させるために、女性が最終的な意思決定者である男性が「付き合おう」と言いやすいように「私のことどう思ってるの?」などと伝えるなど、「匂わせ」を用意するのだという。

セックスと「付き合う」の関係

 ではセックスすることと「付き合う」ことの関係はどうあるべきだと、分析対象となった彼らはとらえているのだろうか。

 調査によると、女性は付き合う前にセックスすると「付き合えなくなる」と考えており、セックスするなら「付き合う」と確認(契約)するべき/付き合ったならセックスしてよい・するべきという規範意識がある、という。

 セックスすると、付き合っていようがいまいが相手に対する親近感が生じる。しかし、付き合っているのか曖昧な状態では、その親近感をいったいどう位置づけていいかわからず、どんな関係性なのかわからないことへの居心地の悪さを抱いてしまう。

 一方、男性にも「付き合う」関係になるとセックスする相手をそのひとりに絞り、また、彼氏/彼女という関係にコミットしなければいけない、という規範意識がある――もっとも、「付き合う」に求められることの重たさを感じ、セックスする相手に対してなるべく「付き合う」関係に至ることを避けようとする者もいるようだ。

 また、「付き合おう」と言い出すのは男性であるべきという意識が、セックスや避妊のイニシアティブを男性が取る(べき)という意識にもつながっていると解説されている。

「付き合う」と結婚の関係――孤独への危機感と子どもを求めて

「付き合う」の行き着く先は、「結婚」か「別れ」の2択しかないと思われているところがある。

 20代前半までの恋愛は恋愛感情だけで成立しているが、20代半ばをすぎると結婚条件を意識した恋愛に移行していくことが多い。それに合わせて相手に求める要素として「キュンキュンしたい」といった感情は薄れていく。

 遊びでセックスする相手と結婚の候補者は完全に別であり、結婚候補者には学歴や職業など、価値観のベースが同等であることを重視する。

 本書において、筆者にとってはここが非常におもしろかったのだが、20代半ばをすぎて結婚を考え始めるのは、身近な友人が結婚して気軽に遊べる関係ではなくなり(特に異性の友人は誘いづらくなり)、寂しさを覚えるからなのだという。独身で居続けることは「孤独」を意味するために拒絶感、危機感があるのだ。

 そして結婚に求める最大の意味は「子どもを産み育てる」こと――結婚と生殖が強く結びついている。

 現代の若者たちが交際相手に求めるのは非日常のときめきではなく、1対1の安定した関係なのだ、と同書は指摘する。

 ジェンダー平等や多様な性のありようについて、分析対象である彼らは学校で学んだこともあるだろうし、勤め先でも少なくとも表向きには日々そうしたことが言われているであろう調査対象の若者たちのジェンダー意識や恋愛観が、いまだ強固に「恋愛やセックスは男性が主導権を握るべき」である、という現実が、本書から伝わってくる。

「付き合う」をめぐる規範意識の強さが男女をともに不自由で窮屈にさせていると同時に、曖昧な関係であることに耐えられず、相手を信じきれないからこそ言質を取って確定させたい、という不安も、彼らの行動からは感じられる。

「付き合う」ことによって関係性を確定させて独占状態にしたいという感覚と、ある人物が「付き合う」状態になるとその友人が遊びに誘いづらくなってその友人が寂しさを覚え、結婚を考えはじめるということが連鎖しているのは、若者の「恋愛観」だけでなく「友人観」ひいては「人間観」に通ずるものがあるのだろう、と感じる。

 人によってそれぞれ思うところは違うだろうが、読めば必ず何か言いたくなる本になっている。

文=飯田一史

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