会社員の日常とスパイ活動が交錯する! 猪苗代湖の音楽フェスでしか手に入らなかった、伊坂幸太郎氏の「現代版おとぎ話」

文芸・カルチャー

更新日:2022/5/20

マイクロスパイ・アンサンブル
マイクロスパイ・アンサンブル』(伊坂幸太郎/幻冬舎)

 私たちの世界はきっとすべてがどこかでつながっている。知らないうちに誰かを助けたり、誰かに助けられていたり…。知らず知らずのうちに少しずつお互いを幸せにし合っているのかもしれない。

 そんなことを信じさせてくれるのが『マイクロスパイ・アンサンブル』(伊坂幸太郎/幻冬舎)。伊坂幸太郎氏による連作短編集だ。この本は、年に1度、福島県猪苗代湖で開催される音楽フェス「オハラ☆ブレイク」で2015年から毎年1編ずつ配布されてきた7年分の短編に書き下ろしを加えた1冊。会社員小説にファンタジー要素が掛け合わされた「現代版おとぎ話」とでも呼ぶべきその世界観には誰もがすぐに惹きつけられるだろう。

 さらに、この作品は、音楽フェス発の小説ということもあって、伊坂氏の敬愛するTheピーズやTOMOVSKYの楽曲が各短編小説の題材となっており、作中には楽曲の歌詞が巧みに織り込まれている。小説だけで楽しむのもいいし、音楽と合わせて楽しむのも良し。元々の伊坂幸太郎作品ファンはもちろんのこと、音楽ファンも楽しめるに違いない作品だ。

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 物語は2人の主人公を中心に描かれていく。1人目の主人公は、失恋したばかりの会社員。彼は失恋のショックを癒すために故郷の猪苗代湖を訪れるほか、毎年のようにこの地を訪れることになる。もう1人の主人公は訳ありのスパイ。仲間からいたぶられ、父親から暴力を受けていた彼は、故郷から逃げ出す途中、国家の諜報員に助けられ、それ以来、スパイとしての訓練や任務に励む。

 まったく異なる世界にいるはずの2人。そんな彼らのそれぞれの7年間が並行して描かれ、ときに交差していく。毎年少しずつ成長していく彼らの周囲ではたびたび不思議な出来事が起きる。それは、知らず知らずのうちに別の世界と影響し合っているため。会社員とスパイは、その何気ない行動によって、互いを助けているのだ。もしかしたら、今、見えていることだけが世界のすべてではないのかもしれない。知らないところで、誰かを助け、誰かに助けられているのかもしれない。この作品を読んでいると、そんなことをなんだか自然と信じられてしまう。

「プライド? そんなの、ただの言葉だろ」
「時間と他人の心、それ以外は、どうにでもなりますよ」
「たいがいのことは、またもとに戻る。やり直せるんだからな」

 伊坂幸太郎作品らしいユニークなキャラクターたちがとても愛らしい。クスッと笑わされたかと思えば、彼らの思いがけない言葉にハッとさせられる。なんだか元気付けられた気持ちになる。そして、物語の舞台、不思議なことばかりが巻き起こる猪苗代湖という場所が気になってしまう。猪苗代湖に行ったことがある人はその景色を思い浮かべながら物語世界を散策するだろうし、行ったことのない人は、幻想的なその場所を訪れたくなるに違いない。

 この本を読むと、心が優しい気持ちで満たされる。遠くにいる人の幸せや、見ず知らずの誰かの幸せまで願いたくなる。「私たちの世界には本当は素敵なことがたくさんあるのかもしれない」とそう思えてくる。「なんだか最近あまりいいことがない」という人にこそ、この本をおすすめしたい。優しさと驚きに満ちたエンターテインメント小説にあなたも癒されてはいかがだろうか。

文=アサトーミナミ

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