親友と同じ顔をした“ナニカ”と過ごす夏――『光が死んだ夏』に感じる“不気味さ”の正体とは

マンガ

公開日:2022/6/4

光が死んだ夏
光が死んだ夏』(モクモクれん/KADOKAWA)

 大切な幼なじみが、人間ではない“ナニカ”に変わってしまっても、自分は一緒にいることを選ぶだろうか。Webマンガサイト「ヤングエースUP」で連載中の『光が死んだ夏』(モクモクれん/KADOKAWA)は、そんな究極の選択を迫られる青春ホラー作品。3月には作者のモクモクれん先生が「幼馴染の姿をした“ナニカ”と青春する話」という言葉とともに物語の冒頭を自身のSNSに公開し、大きな話題を呼んだ。

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 山深い集落に生まれ、幼い頃から共に成長してきたよしきと光。ふたりは同じ高校に進学し、ごく普通の高校生活を送っていた。そんなある日、光は禁足地の山に入り、消息を絶ってしまう。行方不明になってから1週間後、何事もなく帰ってきた光に対して違和感を覚えたよしきは「お前やっぱ光ちゃうやろ」と、問いかける。すると彼は「完璧に模倣したはずやのに…」とつぶやき、顔が半分溶け出してしまう。

 その光に見えるナニカ(以下、ヒカル)に「誰にもいわんといて」と懇願されたよしきは(どちらにせよ光はもうおらんのや…それやったらニセモンでもそばにいてほしい…)と思い、“ソレ”を受け入れた。

「初めて人として生きた」と話すヒカルは、その後もよしきとの学校生活や放課後を満喫する。ヒカルが揚げ物をおいしそうに頬張ったり、映画を観て泣いたりする様子はとても無邪気で、害があるようには思えない。だが、よしきは彼の言動ひとつひとつから“ヒカルは光ではない事実”を突きつけられる。

 そんななか、よしきの周りでは不可解な出来事が起きるようになり、彼の日常は少しずつ狂いはじめていく――。

 よしきとヒカルの何気ない日々は、穏やかに描かれているはずなのに、作品全体を覆う不穏な空気が晴れることはない。

 なぜ『光の死んだ夏』を読んでいると、これほどまで不安な気持ちに駆られるのか……その謎を解くべく、本稿では『光が死んだ夏』に潜む“不気味さの演出”に注目した。

 作中でとくに印象的なのが、周囲の環境音などを文字で表す「擬音語」の存在だ。よしきとヒカルが外にいる場面のほとんどで「シャワシャワシャワシャワ」とセミが鳴き、夕方になると「ゲコゲコゲコゲコ」というカエルの鳴き声が聞こえる。もちろん夏を表す記号としてセミの鳴き声を文字にする手法は珍しくないが、同作の場合は違和感を覚えるほど大量の擬音語が使われているのだ。紙面を埋め尽くすほどのセミの鳴き声から“異様な雰囲気”を感じた読者もいるだろう。

 しかもそれらは、物語の邪魔になるどころか、読者に緊張感を与える役割も果たしている。先に触れた第一話では、よしきがヒカルに「お前やっぱ光ちゃうやろ」と問いかけた瞬間、それまでけたたましく鳴いていたセミの声が消え、朗らかな空気が一変した。この作品が、ただの青春物語ではないことが読み手に伝わる重要なシーンだ。

 そのほかにも、何者かの目を介して物語を見ているような印象を受ける“歪んだコマ”があったり、よしきがヒカルに抱く恐怖心を“渦巻く文字”で表現したりと、さまざまな演出が施されている。これらが、読み手を不安にさせる要素になっている可能性が高い。

「ニセモンでも一緒にいたい」というよしきの選択は、これからどのような結末を迎えるのか。美しくも奇妙な少年たちの青春から、目が離せない。

文=とみたまゆり

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