芥川賞受賞『推し、燃ゆ』に次ぐ宇佐見りん最新作! いさかいの絶えない家庭で育つ少女の慟哭を描く家族小説

文芸・カルチャー

公開日:2022/6/3

くるまの娘
くるまの娘』(宇佐見りん/河出書房新社)

 家族とはなんて厄介な存在なのだろう。いつも話は食い違ってばかり。こんなに身近にいるのにどうしても分かり合えない。そんな関係のまま何十年と時を重ね、たくさん傷つけられているのに、どこかで自分のことを理解してくれることを期待してしまう。「どうにか幸せにしてあげられないか」とさえ考えてしまう。これは依存なのか。自立できていないということなのか。

『推し、燃ゆ』で芥川賞を受賞した宇佐見りん氏の最新作『くるまの娘』(河出書房新社)は、そんな家族と自分の関係を描く。いさかいの絶えない家庭で育つ少女を描き出したこの物語は、読めば読むほど、胸が苦しい。誰にとっても決して他人事ではない世界がこの物語には描かれている。

 主人公は、不登校気味の女子高生・かんこ、17歳。彼女の父親はすぐカッとなって、家族に暴言を吐いたり暴力を振るったりするし、母親も脳梗塞で倒れて以来、感情のコントロールが難しく、些細なことで癇癪を起こすようになった。兄は結婚をきっかけに家を出て、弟も遠くの高校へ通うために祖父母の家で暮らしている。意識的に家族を避けようとする兄や弟と違って、かんこは、両親と3人暮らしだ。

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 そんなある日、父方の祖母が急逝し、バラバラになっていた家族は久しぶりに集まることに。かんこが幼い頃は、家族全員でよく「車中泊」で旅に出かけていた。当時と同じように「車中泊」をしながら短い旅をすることになるかんこ一家。母親は昔を思い出してはしゃいでいたが、バラバラになった家族は決して元には戻らない。思い出の景色は、家族のままならなさをただ浮き彫りにしていくだけだった。

 かんこ一家は、同じ車に乗っていてもそれぞれが孤独だ。ときにのんきな会話を繰り広げながらも、傷つけ合わずにはいられない。それは誰が悪いというわけではない。被害者に見えるかんこでさえも、過去、無意識のうちに弟に取り返しのつかない傷を負わせていた。誰もが被害者であり、加害者。完全な悪人がいないという事実が問題をさらにややこしくする。閉塞された「車内」という空間は、常に息苦しさと緊張感が漂っている。

 だが、かんこは決して家族から逃げようとはしない。車から降りようとはしない。どんなに理不尽で苦痛をともなうものだったとしても、救われるならば、この地獄から家族全員で救われたいと願っている。そんなかんこの思いを「依存」とは切り捨てることはできないだろう。家族という存在は、自分の身と切っても切り離せない存在。背負おうとするのも痛ければ、逃げ出すのも痛い。「つらければ逃げたらいい」とか「背負わなければ楽」とか、そういう簡単な話ではないのだ。

 あの人たちは私の、親であり子どもなのだ。

 このどうしようもない地獄のなかに家の者を置きざりにすることが、自分のこととまったく同列に痛いのだということが、大人には伝わらないのだろうか。

 あらゆる場面に息を飲み、かんこの心の叫びに圧倒される。彼女の痛みが私たちの胸にもジワジワと侵食してくる。あなたもどうにもやりきれないかんこの日々をどうか見届けてほしい。この本は架空の家庭を描いているようで、すべての家庭に共通する苦しみを描き出している。読み終えた時、円満な家庭に育った人も、そうではなかった人も、自分の家族のことを考えずにはいられなくなるだろう。

文=アサトーミナミ

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