神さまは存在する? 地獄は、どんなところ? 『いまさら聞けないキリスト教のおバカ質問』が深い!

文芸・カルチャー

更新日:2022/6/6

いまさら聞けないキリスト教のおバカ質問
いまさら聞けないキリスト教のおバカ質問』(橋爪大三郎/文藝春秋)

 お正月には神社に初詣、お彼岸にはお寺にお墓まいり、クリスマスにはパーティ…多くの日本人にとっては当たり前の風景だが、厳密に考えれば神社=神道、お寺=仏教であり、キリストの誕生を祝うクリスマスはキリスト教にちなむもの。

 一方で「信じている宗教は何?」と聞かれると「特にない」と答える人も多く、日本人と宗教の関係というのは甚だあいまいだ。こういう状況に慣れすぎているためか、実は「信仰する」ということはどういうことなのか、その本質的な部分がわからないという人は案外多いのではないだろうか。

 このほどキリスト教者である社会学者の橋爪大三郎さんが書かれた新刊『いまさら聞けないキリスト教のおバカ質問(文春新書)』(文藝春秋)は、そんな宗教心・信仰心がよくわからない人が「信じるってこういうこと!?」と実感できる(かもしれない)興味深い一冊だ。

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 世の中には「答えが見つからない」質問があるが(人間はなぜ生きるのか、神はいるのかなど、根源的なものに多い)、それになんとか答えようとしてきたのが哲学や宗教だった。本書は特にキリスト教について、そうした根源的な質問(本書ではあえてそうした質問をする「勇気」をたたえ、親しみをこめて「おバカ質問」と称する)に答えようとするものだ。Q&A形式の形をとるので、ありがちな「すぐわかる」タイプの本かと思うと、実はちょっと違う。質問はいずれもズバリ真理を問うようなものばかりのため、著者の答えも語り口はやさしくユーモラスでも、なんだか深く考えさせられるのだ。

 たとえば、もっとも基本的な「神さまは、ほんとうにいますか?」という質問がある。この質問に対して著者は、キリスト教の「この世界を造ったのは神であり、その世界が存在するということは神もいる」「イエス・キリストは神の子どもであり、神の言葉を伝えたから神はいる」とする考え方を紹介するが、いずれも証拠はないことから、証拠のあるなしで神の存在は決まらないと指摘。その上で、神の存在を決めるのは証拠ではなく、実は自分自身の「考え方」に関わってくるというのだ。

「この質問に答えるには、自分でどう考えるか、『決める』しかありません。キリスト教はそうやって、神さまがいると『決めた』人びとの集まりです。そんな人びとに向かって、『神さまは、いないよ』と言ってもムダです。『それはあなたの考えでしょう』と言われてしまいます」と著者(本文より)。たしかに納得の答えだ。

 ほかにも「神さまはなぜ、世界を造りましたか?」「神さまは、男ですか、女ですか」「神さまは毎日、何をしていますか」「人間は、罪があるのですか?」「地獄は、どんなところですか?」「誰が救われて、誰が救われないのですか?」などなど、ちょっと考えただけでは答えが思いつかない質問ばかり。時に我々日本人には極端に感じるキリスト教の考え方もあるが、いずれにしてもこれらの答えの奥にある「普遍性」を感じることはかなり刺激的だろう。

「日本では、信仰は、思考停止だと思っているひとがいる。そうではない。キリスト教の信仰は、神さまと終わりのない対話を続けることです。答えを教えてもらって終わり、ではない。質問を続けるのです。信仰は終点ではなく、出発点なのです」と著者。本書はそんな対話の一端を垣間見るようでもある。おそらく「宗教は自分に関係ない」と思っている人ほど大きな発見がありそうな一冊だ。

文=荒井理恵

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