東京からロンドンに脱出した「出国子女」、日本の生きづらさと日本への愛を語る

社会

公開日:2022/6/9

ロンドンならすぐに恋人ができると思っていた
ロンドンならすぐに恋人ができると思っていた』(鈴木綾/幻冬舎)

 5月下旬に「FRaU」に掲載された「日本には「三つの災禍」がある。ロンドンに「避難」した30代女性が伝えたいこと」というWeb記事が話題となった。執筆者の初著書『ロンドンならすぐに恋人ができると思っていた』(鈴木綾/幻冬舎)は、日本のことをさほど語らずに日本人にメッセージを送ろうとしている、珍しい手法が採られている一冊だ。

 著者は「ハフポスト日本版」で、「これでいいのか20代?」というコラムを2017年から2018年まで連載していた。特徴的なのは、日本語で物書きをしているけれども、日本人ではないという点だ(鈴木綾はペンネーム)。そうした独自の視点から、東京で6年間外資系企業に勤務して体験した幸福・悩み・違和感が語られてきた。違和感の中には、モラハラ・セクハラに関する生々しい体験談も含まれていた。

 その後著者はMBAを取得し、ロンドンへ「脱出」。投資会社、次いでスタートアップ企業で働いてきた。日本文化が大好きであるにもかかわらず渡英した要因は、日本の生きづらさだったという。

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日本の生きづらさから逃げている女性は私だけじゃない。ロンドンに引っ越してから、自分と同じ年くらいの日本人女性に何人も会った。みんな高学歴で、海外でキャリアを積み上げることを決めた女性たち。もう日本に住む予定はない女性たち。彼女たちのことを私は「出国子女」と呼んでいる。

 出国子女たちはほぼ女性で、日本文化に誇りを持っているけれども、日本企業に勤めることがイヤで渡英してきた人が多いという。複数言語を話すことができてとても優秀で、日本人男性の「出国子女」は皆無なので、彼女たちのパートナーは日本人以外であることがほとんどだという。

 日本の伝統文化「金継ぎ(割れたり欠けたりした器を漆で修復し、継いだ部分を金などで装飾する日本の伝統技法)」が海外で人気を博していることなど、時おり日本の話題が書中に登場する。しかし、基本的に話題はロンドンのことや、イギリス社会のことが多い。たとえばロンドンの物価が高いこと、地下鉄が狭く汚くエアコンもないこと、などという点だ。

 そんなロンドン・イギリスの描写のいたる所に、その前に住んでいた東京・日本の存在が垣間見える。そして何より本書は、日本語で記されている。そのため、ロンドンやイギリスのことを書いているが、実は一冊丸々日本のことを暗喩のごとく書いているのではないかと筆者は感じた。

 たとえば、ロンドンの働く女性の中でもリーダーシップをとれるような人は“I will try to do my best”(頑張ってみます)というよりも“I am confident that I can do this”(これができる自信を持っています)という言い回しを選択することが語られている。これはロンドンのことについて書いているというよりも、日本人の(特に若い女性の)読者に向けて「ビジネス慣習における謙譲表現はどんどん見直すべき」と、エールを送っているということなのだろう。

 著者は日本文学から少なからず影響を受けたそうで、本書のプロローグでも、夏目漱石が英語教師をしていたときに学生に“I love you”を「月がきれいですね」と訳出させたエピソードが引用されている。その他にも、意識的か無意識的か、文学にオマージュを捧げている箇所が散見される。

どこに行っても必ず何かしらハプニングがあって、そこに人の悲しみ、喜びがあって、そしてそこには何でも超えられる人の強さが見える。まるで演劇を見ているようだ。辛いときに周りを見ると、人生って演劇にすぎないんだ、辛いのは自分だけじゃない、それでもみんな自分のドラマを精一杯生きているんだって思えて、自分の辛さも笑いに変えて楽になれる。

「住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る」と冒頭に書かれた『草枕』とは逆に、生きづらさが高じて高いところへ引っ越し、やはり色々面倒だしうまくいかないことも多いと悟る。「どこへ行っても面白くないような心持がするのです」と終盤に主人公が独白する『こころ』とは違い、辛さを笑いに変える。そんな思考回路を持つ著者が描く物語は、石が浮遊しているシュルレアリスムの絵のように、どこに足場があるのかわからないけれども、得体のしれない強烈なメッセージを発している。

文=神保慶政

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