雑談/澤村伊智「高速怪談」【全文公開①】

文芸・カルチャー

公開日:2022/8/9

『ぼぎわんが、来る』の澤村伊智氏による、小説の形をした怪談集『怪談小説という名の小説怪談』(新潮社)。
子連れで散歩中に見かけた怪しげな物件、語ってはいけない怖い小説、新婚旅行で訪れた土地での出来事…など、暑い夏の夜にゾクゾクする珠玉の7編を収録。
本連載では、「高速怪談」を7回に分けて全文公開! 関西方面に向け、乗り合わせて帰省をする男女5人。ひょんなことから車内で怪談会がはじまって…。ラストまで見逃せない傑作短編。

雑談

「簡単に言うと、マスク被った殺人鬼が人殺しまくる映画」

 背後で石黒さんが言った。ぼりぼり鳴っているのは頬髭を搔く音だろう。

「そんなの星の数ほどあるじゃん」

 彼の隣から呆れた声がした。汀さん――石黒さんの奥さんだ。ガサガサとレジ袋の音がして「ぱん」と軽快な音が続いた。油とコンソメの匂いが運転している僕の鼻に届く。ルームミラーをチラリと確認すると、大きな黒縁眼鏡をした汀さんがポテトチップの袋に手を突っ込んでいるのが見えた。

「どんなマスクか覚えていらっしゃいますか? それでだいぶ絞り込めますよ」

 助手席の堀さんが柔和な笑みを浮かべて訊いた。僕は「重要ですよね、それ」と合いの手を入れる。

 八月十三日、いやもう十四日か。僕はインパネの時計に目を向けた。午前一時八分。夕方に仮眠したからまるで眠気は感じない。速度表示は百キロ前後を行ったり来たりしている。

 深夜の新東名高速道路、下り車線は想像した以上に空いていた。

「澤口くん」

 後部座席から真柄さんの呼ぶ声がした。

「浜松サービスエリアで交代しよっか。新東名下りる手前にあるから」

「はい、ありがとうございます」

 僕はそう答えて首を鳴らした。途端にポーンとアラート音がなり、〈車両の揺れが大きくなっています〉と機械の声に警告される。僕は慌ててハンドルを握りなおした。運転は月に何回かしているけれど、高速道路を走るのは久しぶりだった。

 派手な電飾で煌くトラックが、追い越し車線を凄まじい速度で走り抜けて行った。

 カメラマンの真柄大輔さんから「あれ? じぶん関西出身やったん?」と訊かれたのは今月頭、荻窪の神社を取材した直後だった。どういうきっかけでそんな話になったかは思い出せない。

 ハイそうです、兵庫県の山奥で育ちました、東京じゃ普段はほとんど訛りません――などと返すと、彼は「じゃあお盆に一緒に帰省せえへん? みんなで」と誘った。

 何人かで真柄さんのセレナに乗り、東京から大阪駅前まで交代で運転する。真柄さんはここ何年かそうやって帰省していたという。高速料金とガソリン代は割り勘。六人で往復すると一人五千円かからない。金額を提示された瞬間、僕は「行きます」と答えた。高速バスより安い。

 上京後、零細出版社でアルバイトして三年。ようやく契約社員になった僕にとって、盆暮れの帰省の交通費は結構な出費だった。両親との仲はそれなりに良好なので、帰らないのは心苦しい。

「助かるわ。いつも一緒やった友達、入院してもうてな。糖尿病で足が壊死して」

 俺も節制せんとなあ、四十前やし独り身やし――と、真柄さんは突き出た腹を叩いた。

「マスクはめっちゃデカかったですわ」

 石黒さんがはっきりと言った。

「頭からすっぽり被るタイプ。シルエットは丸くて、顔だけガチャピンみたいな感じ。体は黒ずくめの細身やからバランス最悪なんですけど、せやから余計に記憶に残ってます。そこだけ」

 彼は漫画家兼イラストレーターで、真柄さんの古い友人だ。僕も何度か仕事でイラストをお願いしたことがあった。見た目はいかついが絵柄は可愛らしく、少女漫画誌でも連載している。この帰省ツアーが始まった当初から、汀さんとともに参加しているらしい。

「『アクエリアス』だと思いますよ」

 堀さんが言った。笑みを崩さず、「イタリアの有名な映画ですね。ソフト化もされてます。舞台は劇場で、殺人鬼が鍵を閉めて劇団員を出られなくして」

「そうやったかなあ」

「すぐ外には見回りのパトカーが停まってるんですが、警官たちは中の惨劇に気付かず車内でずっと駄弁ってるんです」

「あ! ありました、思い出しました。アホみたいな雑談して中と外のギャップが、みたいな。アレですよね、めっちゃ豪雨ですよね? せやから悲鳴も聞こえへん」

「そうです。確定みたいですね」堀さんは楽しげに、「あのマスクはフクロウです」と言った。

 堀さんとは初対面だった。中堅出版社の書籍編集者。午後八時、集合場所の中野駅前に辿り着いた時、真柄さんにそう紹介された。息を切らして挨拶の言葉を探していると、彼は深々と礼をして「堀泰三、二十六歳です。よろしくどうぞ」と手を差し出した。自分と違ってちゃんとしているな、と大いに恥じ入りながら、僕は彼の手を握り返した。

「フクロウやったんかあ」

 石黒さんがうなった。

「言われてみたら確かにそうやわ。リアルな造形やから子供の俺には認識できんかったんやな。ガキの考えるフクロウってあんなんちゃうし」

「マスクだけじゃ余計に分からないでしょうね」

 堀さんが言った。抱えていた黒いリュックサックのポケットからボトルを引っ張り出し、中からガムを摘んで口に放り込む。石黒さんの「子供の頃テレビで見て印象に残っているが、タイトルを思い出せない映画」が判明し、僕は他人事ながらすっきりした気持ちになっていた。

「じゃあ次はわたしね」

 汀さんがポリポリとチップをつまみながら、

「深夜にテレビで見たんだけど、男子高校生が超能力で女子――」

「『超能力学園Z』」

 彼女以外の全員が同時に答えた。一瞬の沈黙の後、車内が大笑いに包まれた。陳腐で馬鹿げたノリだと分かってはいたけれど、深夜だったせいもあってか笑いはしばらく治まらなかった。僕は身を捩り、ひーひー言いながらハンドルを握っていた。

<第2回に続く>

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