思春期の三葉には恥ずかしすぎる“口噛み酒”の儀式。…「神様、来世は私を東京のイケメン男子にして!」/小説 君の名は。③

文芸・カルチャー

公開日:2022/9/30

山あいの田舎町に暮らす女子高校生・三葉(みつは)は、自分が男子高校生になる夢を見る。一方、東京の男子高校生の瀧(たき)も同じく奇妙な夢を見る。やがてふたりは夢の中でお互いが入れ替わっていることに気づき――。大ヒットを記録した映画『君の名は。』を、監督の新海誠みずからが執筆した『小説 君の名は。』の第一章から第二章を全3回連載でお届けします。今回は第3回です。小説版では、瀧と三葉の視点が交互に描かれ、映画では描かれなかったふたりの心の内が浮かび上がってきます。2022年11月公開の映画最新作『すずめの戸締まり』を観る前に、ベストセラーとなった人気作『小説 君の名は。』をお楽しみください。「記憶喪失みたいやったよ」と言われ、昨日のことが思い出せない三葉。田舎の町を愚痴りながら、親友のサヤちん、テッシ―と学校から帰る途中、「カフェにでも寄ってかんか」ということになり――。

小説 君の名は。
『小説 君の名は。』
新海誠/KADOKAWA)

 がっちゃん! という金属音が、ひぐらしの声色に溶けていく。ほらよ、とテッシーが自販機から取り出した缶ジュースを差し出す。びーんという音を立てて、電動スクーターにまたがった畑帰りのおじいちゃんが目の前を通過し、通りすがりの野良犬が「俺も付き合ってやるか」という風情で座り込んであくびをした。

 そのカフェは、あのカフェではなかった。つまりスタバとかタリーズとか、あるいはこの世のどこかにあるというパンケーキやベーグルやジェラートを供する夢空間でもなく、三十年くらい前のアイスクリーム看板が貼り付けられたベンチと自動販売機がぽつんとあるだけの、近所のバス停だった。三人並んでベンチに座り、ついでに野良犬も足元に座っていて、私たちは缶ジュースをちょびちょびと飲んでいる。テッシーにだまされたというよりも、まあそりゃそうか、という気持ちになる。

「じゃ、私先に帰るね」

 今日は昨日より一度くらい気温が低いね、いや私は一度くらい高いと思う、そういう心底どうでもいい会話を缶ジュース一本分し終えてから、私は二人にそう伝えた。

「今晩がんばってな」とサヤちん。「後で見にいってやるでな」とテッシー。

「来なくていいよ! ていうかゼッタイ来んな!」と釘を刺しつつ、私は内心で「恋人同士になれるようにがんばれ~」と二人に向かって祈ってあげた。しばらく石段を登ってから振り返り、夕焼け色の湖をバックにベンチに座っている二人に、リリカルなピアノ曲なんかをそっとかぶせてみる。うんうん、やっぱりお似合いやん。私はこれから不幸な夜のお務めだけど、あなたたちだけはせめて若さを謳歌しなさいね。

 

「あーん、私もそっちがいいわぁ」

 四葉が不満げな声を漏らす。

「四葉にはまだ早いわ」とお祖母ちゃん。

 八畳ほどの作業部屋には、かちんかちんと、重り玉がぶつかる音が間断なく響いている。「糸の声を聞いてみない」と、作業の手を止めずにお祖母ちゃんは続ける。

「そうやってずーっと糸を巻いとるとな、じきに人と糸との間に感情が流れだすで」

「へ? 糸はしゃべらんもん」

「ワシたちの組紐(くみひも)にはな──」と、四葉の抗議を無視してお祖母ちゃんは続ける。私たち三人はそれぞれに着物姿で、今夜の儀式に使う紐作りの仕上げをしているのだ。組紐、という古くから伝わる伝統工芸で、細い糸を組み合わせ一本の紐を組む。完成した組紐には、様々な図柄が編み込まれたりしていてカラフルで可愛い。とはいえ作業にはそれなりの習熟が必要だから、四葉のぶんはお祖母ちゃんが担当。四葉は重り玉にひたすら糸を巻くというアシスタント作業をやらされている。

「ワシたちの組紐にはな、糸守千年の歴史が刻まれとる。まったくあんたらの学校も、元来はこういう町の歴史をまずは子どもに教えにゃいかんのに。ええか、今をさかのぼること二〇〇年前……」

 また始まった、と私は小さく苦笑する。小さな頃からこの作業場で繰り返し聴かされてきた、お祖母ちゃん得意の口上だ。

「ぞうり屋の山崎繭五郎(まゆごろう)の風呂場から火が出て、このへんは一帯丸焼けとなってまった。お宮も古文書も皆焼け、これが俗に言う──」

 お祖母ちゃんがちらりと私を見て、

「『繭五郎の大火』」

 すらりと私は答える。うむ、と満足そうなお祖母ちゃん。「え、火事に名前ついとるの!?」と驚いた様子の四葉。マユゴローさん、こんなことで名前が残るなんてかわいそ、とぶつぶつと言っている。

「おかげで、ワシたちの組紐の文様が意味するところも、舞いの意味も解らんくなってまって、残ったのは形だけ。せやけど、意味は消えても、形は決して消しちゃあいかん。形に刻まれた意味は、いつか必ずまたよみがえる」

 お祖母ちゃんの話には小唄のような独特の拍子がついていて、私は組紐を組みながら、同じ言葉を口の中で小さく諳んじる。形に刻まれた意味は、いつか必ずまたよみがえる。それがワシら宮水神社の──。

「それがワシら宮水神社の、大切なお役目。せやのに……」

 それから、お祖母ちゃんの柔和な目が悲しげに伏せられる。

「せやのに、あのバカ息子は……。神職を捨て家を出ていくだけじゃ飽き足らんと、政治とはどもならん……」

 お祖母ちゃんの溜息に忍ばせて、私も小さく息を吐く。この町が好きなのか嫌いなのか、どこか遠くに行きたいのかそれともずっと家族や友だちといたいのか、私は本当は自分でもよく分からない。鮮やかな色に組み上がった組紐を丸台から外すと、かたりと寂しげな音がした。

 

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