小さい口でちまちま食べる/生物群「やさしい食べもの」⑦

文芸・カルチャー

公開日:2022/9/30

 自炊をこよなく愛する内科医・生物群による、どこまでもやさしい食エッセイ。忙しない日常のなか、時に自分を甘やかし、許してくれる一皿の話。

 ごく短い期間ですが食欲がどうにもわきませんでした。たまにですがこういうことがあります。

 食欲がないと人が言うとき、その言葉は複数の意味を持ちます。一言「食べられない」と言っても、その内情はさまざまです。「食べられない」と相談されたとき、「量が食べられないですか、最初から食べるものに何の興味も持てないですか、食べたいのに目の前に来るとウッと喉がつまってしまいますか、吐き気がしますか、心配事があってそれどころではないですか、それとも……」といろいろと話を聞きます。食べられない人はしばしば食べられないことにくよくよしています。病気のせいでそうなっているのに、周りから食べろ食べろと言われて責められている気がして、傷ついていることもあります。

 私に食欲がないときは料理をする気力もなくなっている。それは同時に来るもので、食欲がないのに料理はしたくてたまらないということは起こりません。しかし、そういうときに限ってスーパーでパックに入って売られているものを食べるのはつらい。売っているものの中から食べたいものを探すのは、このシチュエーションでは至難の業で、ではどうしたらいいのか。こうしている間にも血糖値が下がっていくような気がする。とりあえず水分をとって……だめだ、考える気力もなくなっていく……。ところてん、具なしの茶碗蒸し、じゃがいものポタージュ、温かい豆腐……。

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 何かを食べている人を思い浮かべるとき、その人は大きな口を開けて、勢いよく食べものにかぶりついていないでしょうか。すごい勢いでお皿の上ののが減っていく。気持ちのいい食べっぷりを想像します。しかし、食欲のない人たちはそうはいきません。だからといって食べないわけにもいきません。全身ぐにゃぐにゃで、それでも食べたい、気持ちは食べたい。

 最近、そういうときに「大きな口を開けてどんどん食べることはできないが、小さい口でちまちま食べればいい」と思うようになりました。ちまちま食べたいものを探す。自分がちまちま食べられるものを見つけると、目先が変わってうまくいく気がする。

 今回の「何だかわからないが食べられない期間」が終わったあと、ちまちまを満たしてくれる食べものをしばらく探しました。

 大根おろしは、大根がみずみずしいうちに、また自分がまだ元気な時間におろして冷やしておくとよい。一度くたびれているときに大根をおろしたら、大仕事になって疲れ切り、体調にとどめをさしてしまいました。

 かれいの切り身を買って、醤油とみりんのうすい味付けで優しく煮付ける。ほろほろと崩れて細いお箸でちまちま食べるのに向いている。

 おからを買って、かれいの煮汁が余ったらさらにうすめて卯の花を作る。ぽくぽくさせた卯の花も、しっとりさせた卯の花も、どちらもちまちま食べるのにいい。

 温泉卵を作ったり買ってきたりして、冷たい出汁を張って小さな匙でちょっとずつ食べる。

 大根おろしをおろしておくと、ただ煮麺を作っても、さっぱりして麺と一緒にちまちま食べるのに向いています。食べたい気持ちの回復期に、味の濃いものや少し脂ののったものと交互に食べるのもいいのです。また、まったく味付けをせずに、旬の時期の蒸した白菜にのせて、少しの塩や醤油で食べるのもいいものです。

 大根おろしを小さい口で食べていると、体調が悪くても食事がとれていることと、そのみぞれのような淡い味を感じて「大根おろしだけが救ってくれる」などと大袈裟な気持ちになることがあります。元気なときには、ゆっくり日本酒を飲みながら、おろしながら食べることもあります。大根は買うものによって水分量が違って面白い。苦すぎたり辛かったりして生で食べるのに味が合わないなと思った大根は、肉や厚揚げを煮るときに入れるとうまくその苦味とまとまったり、大根餅にしても美味しくなります。

 前の冬のシーズンに、沼山大根という秋田県の在来種の大根を初めて食べる機会がありました。この大根は、見た目も変わっていて、青首の部分が新緑のような濃くて鮮やかなくすみのない緑色をしていて、そこがずいぶん長いのです。緑から白への短いグラデーションののち、真っ白い色調に変わって根のしっぽまで真っ直ぐのびていきます。水分量が少なく、おろすと少し繊維質に感じるほど身がつまっていて、外からさわっても硬く、それもそのはず、もともとはいぶりがっこに加工される大根なのです。生で食べると、もしかしたら食べてはいけないものなのかも、と思うような鮮烈な苦味が走っていくのに驚きます。一時期は生産の歴史が途絶えたのですが、種が残っていて復活し、生産が再び始まったものが少数流通しています。この大根もやはり、火を通したり加工するのが向いていて、分厚い脂ののっている肉とオリーブオイルで煮込むのが冬の楽しみでした。

 大きな口を開けて食べるものも、小さな口で少しずつ食べるものも、喉を鳴らして飲み干すものも、啜(すす)るものも、開けられる口の大きさは日々いろいろなので、今日の口の大きさで今日も食べていこう、それでいいのではないかと思っています。

<第8回に続く>

<第8回に続く>

生物群(せいぶつぐん)
東京在住。都内病院勤務の医師。お酒と食事が好きで、ときどき帰宅してから夜寝る前まで料理を作り続けてしまいます。


Twitter:@kmngr