サッカー部贔屓の考え方/月夜に踊り小銭を落として排水溝に手を伸ばす怪人⑬

文芸・カルチャー

公開日:2022/10/10

 周囲になじめない、気がつけば中心でなく端っこにいる……。そんな“陽のあたらない”場所にしか居られない人たちを又吉直樹が照らし出す。名著『東京百景』以来、8年ぶりとなるエッセイ連載がスタート!

 友人から、「箱根に参拝に行くんやけど一緒にどう?」と声を掛けられたので、行ってみることにした。友人は仕事の疲れが溜まるとたまに箱根の空気を吸いに行くそうだ。箱根の山や芦ノ湖周辺を歩いているだけで気持ちが楽になるらしい。

 新宿駅からロマンスカーで小田原駅まで行き、そこからはレンタカーで箱根の九頭龍神社本宮を目指した。私は車の運転免許を持っていないので、助手席で好きな音楽を流すことしかできなかった。友人は高校時代は和歌山の強豪校でサッカーをしていた。同学年なので何度も対戦したことがある。

 かつて敵同士だった二人が同じ車で箱根を目指すというのは不思議な時間だったが、車から芦ノ湖が見えたときは、その美しさに驚いた。

「東京から数時間でこんな大自然があるんだ……」と古いCMで聞いたことがあるような言葉が頭に浮かんだ。悪い癖で、CMにありそうな場面と言葉が次々と頭をよぎる。

 若い父親が運転する車の助手席に幼い娘が座っている。二人とも笑顔で話している。

 次は、少し老けた父親がハンドルを握り、思春期の娘が助手席でうつむいている。なぜか娘は仏頂面で二人に会話はない。そんな娘に対して父は、「着いたら起こすぞ」と言葉を掛ける。

 次は、年老いた父がハンドルを握り、大人になった娘が助手席に座っている。娘は父の手や横顔を黙って眺めている。大人になった娘は自分が幼かった頃、父が運転する車で自分が笑っていたことや、思春期の頃、塾まで車で迎えに来てくれた父と会話が無かったことを想い出している。

 そして、芦ノ湖を眺めながら、「車があってよかった……」と娘はつぶやく。父はなにも言わない。続けて娘は、「ありがとう」と前方にひろがる風景を眺めたまま囁く。父は、「うん」とだけ返す。家族向けの車のCMが完成した。

 

 私は無性に娘のセリフが言いたくなり、「車があってよかった……、ありがとう」と大人になった娘っぽく実際に声に出してみた。運転している友達はハンドルを握ったまま、「CMやん」と笑った。こちらの脳内で展開された意図がなんとなく伝わったようだった。

 だが現実では助手席に座る髭面の四十二歳が、運転席の髭面の四十二歳に、「車があってよかった……、ありがとう」と感謝を述べているのだった。

 九頭龍神社の近くの駐車場に車を停めて、そこから15分ほど歩いた。その途中で年配の二人組が私達を追い抜いていった。

「あの二人、歩くの速くない?」と友達が不思議そうに言った。たしかに一歩の幅が大きいわけでもなく、急いでいるような歩き方にも見えないのに軽やかにどんどん進んでいく。

 忍者なのかもしれないと思った。最近、なにかの動画で、「忍者は普通の身なりで正体を隠しているが、歩くのが異常に速い」と説明しているのを観たところだった。

「あの人、リュックのポケットが手裏剣の形に膨らんでたで」と私が言うと、「忍者やったんや」と友達はすぐに納得した。また私の意図が伝わったようだった。

 これだけ考えていることが伝わるのだから、高校時代に彼と同じチームだったならパスがよく通ったことだろうと無駄なことを思った。

 忍者とサッカー部ではどちらの方が、足が速いだろう? 歩くのは忍者かもしれないが、本気で走ればサッカー部の方が速いはずだ。かなりサッカー部贔屓の考え方で恐縮だが、部活別の走力でいうと、一位はサッカー部、二位は陸上部、三位が野球部、四位に忍者、五位にバスケ部といったところだろう。

「でも、本気出したら忍者よりサッカー部の方が速いよな?」

「そうやな」

「忍者はバスケ部より、ちょっと速いくらいやろ?」

「うん、サッカー部、陸上部、野球部、忍者やんな」

 彼もサッカー部だったので、サッカー部贔屓の考え方になってしまう。ただ、これも私の意図が上手く伝わったようだった。狭い角度のスルーパスが通ったような気持ち良さがあった。

 九頭龍神社の入口からは芦ノ湖に沿って歩いていく。頭も体も浄化されていくような感覚を箱根の自然が与えてくれる。

「まったんはスプリント系?」

「いや、どっちかいうたら持久力かな」

「ダイナモ系だ」

「そうやな北澤やから」

「俺は武田」

 北澤とは、元ヴェルディ川崎のレジェンドで日本代表でも活躍した北澤豪選手のことである。試合中、無尽蔵に動き回るのでダイナモと呼ばれることがあった。そして、武田とは同じく元ヴェルディ川崎のレジェンドで日本代表でも活躍した武田修宏選手のことだ。ゴール前での一瞬のスプリントに天才性があった。どちらも私達が子供の頃のスター選手だった。

「武田さんは電車乗り遅れそうなときとか一瞬の加速で気付いたら電車の中にいてるねんけど、北澤さんは電車に乗り遅れても、そのまま次の駅まで走れるから」

「たしかに、そうやんな」

 やはり、私の意図が伝わったようだった。自軍のディフェンスラインから、一気に相手ディフェンスラインの裏に一か八かでロングボールを蹴ってみたら、オフサイドぎりぎりのラインを抜け出してパスを受け取ってくれたような快感があった。

 九頭龍神社を参拝して芦ノ湖を眺める。新鮮な空気が全身に満たされていく。

 帰り道も、やはりサッカーの話をしながら歩いた。

「俺達、何歳までこんな話するんかな?」と友人に聞くと、「ずっとでしょ」と彼は返した。トラップしやすい優しいパスが利き足に入った。

(ここで掲載する原稿は、又吉直樹オフィシャルコミュニティ『月と散文』から抜粋したものです)

<次回は11月の満月の日、8日の公開予定です>

あわせて読みたい

又吉直樹(またよしなおき)/1980年生まれ。高校卒業後に上京し、吉本興業の養成所・NSCに入学。2003年に綾部祐二とピースを結成。15年に初小説作品『火花』で第153回芥川賞を受賞。17年に『劇場』、19年に『人間』を発表する。そのほか、エッセイ集『東京百景』、自由律俳句集『蕎麦湯が来ない』(せきしろとの共著)などがある。20年6月にYouTubeチャンネル『渦』を開設