なぜ何不自由ないはずの毎日に、モヤモヤしてしまうのか。人生の充実度を分けるものとは?/もう一度、チャレンジ

暮らし

公開日:2022/11/9

 大きな不満はないけれど、なんだか人生つまらない……それは人生のどこかのポイントで、「これくらいで、まあいいか」と思うようになっているのかも。

 本田晃一著の書籍『もう一度、チャレンジ~つまらなくなってきた毎日を楽しくリニューアルする方法~』では、「成功する」ためのノウハウ以前に、いくつになっても恐れずに“チャレンジ”を始めるための思考法やヒントを提示。

 なぜ、新たな一歩を踏み出すことに躊躇してしまうのか。本書を参考に、再び、人生を面白くするチャレンジの道を拓いてみては?

 日本全体に元気がない昨今、何かを望むことをあきらめ、「ほどほど」や「身の丈」を推奨する傾向もありますが――。

※本作品は本田晃一著の書籍『もう一度、チャレンジ~つまらなくなってきた毎日を楽しくリニューアルする方法~』から一部抜粋・編集しました

もう一度、チャレンジ~つまらなくなってきた毎日を楽しくリニューアルする方法~
『もう一度、チャレンジ~つまらなくなってきた毎日を楽しくリニューアルする方法~』
(本田晃一/祥伝社)

人は、なぜモヤモヤするのか?

 人はなぜ、何不自由ないはずの毎日に、モヤモヤしてしまうことがあるのか。

 一度得た成功に安住しようとすると、虚しくなってしまうのか。  

 昨今流行りのFIREで自由を手に入れた人の中に、実はメンタルを病んでしまう人が少なくないのは、なぜなのか。

 

 人によっては、「本当は無意識レベルで自分が次のトライをすべきだとわかっているのに、今にしがみついて見て見ぬフリをしているから」かもしれません。

 また、ある人にとっては、「自分の中でのなりたい最高の状態のイメージはあるのに、そこから目をそらしているので、理想と現実のギャップでモヤモヤして、文字通り〝不完全燃焼〟を起こしている」のかもしれません。

 そして何より、多くの人にとっては、「チャレンジの全くなくなった人生は退屈すぎるから」というのもあるのではないでしょうか。

 

 いずれにせよ、池の水と一緒で、どれほど魚がたくさんいる場所であっても、そこに新しい水が全く流れてこなくなってしまえば、いつかはよどみが発生して、魚もいなくなってしまいます。

 いくらその池がかつて自分に惠をもたらしてくれた場所だからといって、そこにしがみつき続けていたら、食べられるものはなくなっていってしまうでしょう。

 そんなとき、慎み深く「自分には、この池がふさわしいんで」「ほどほどでいいんです」とよどんだ水を我慢してすすり続けたり、水草を食べてみたりしたところで、生きながらえることはできたとしても、やっぱりしんどいものは、しんどい。

 今あるものに目を向け、感謝できるのは素敵なことですが、やせ我慢をするかのごとく、喜びのない場所に自分を縛りつけるのは、やはりバランスを欠いています。

 本当は、無理に自分を抑え込まずに、新たな水の流れをその池に引き込むなり、別の池を目指すなり、そうした変化を求めることを素直に自分に許可してあげていいのです。

 

 日本経済全体の元気があまりない中で、最近は何かを望むことをあきらめ、ほどほどや身の丈を推奨する本やネット記事が多いのもわかります。

 僕のように、『毎日好きなことだけで埋めていく』という本を出したり、はしゃぎながら夢を叶えるための方法を講演したりするほうが、うさんくさく見えてしまう時代かもしれません。

 極端な話、もう夢を叶えなかろうと、好きなことでご飯を食べていかなかろうと、それでもいいとは思うのです(もちろん、心からそれを望む人のことは全力で応援します!)。

 ただ、あえてそんな今だから、人生をつまらなくしないために、チャレンジだけはおススメしたい。

 

 モヤモヤが生まれてしまうのは、その人の今に〝新しい水の流れ〟がなくなっているから。

 だからこそ、結果を手に入れること以上に、チャレンジという新しい流れそのものを生み出すことが、毎日を充実させていくうえで、これからの時代に大事だと思うのです。

 

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