聞き手の女性/月夜に踊り小銭を落として排水溝に手を伸ばす怪人⑯

文芸・カルチャー

公開日:2023/1/7

 周囲になじめない、気がつけば中心でなく端っこにいる……。そんな“陽のあたらない”場所にしか居られない人たちを又吉直樹が照らし出す。名著『東京百景』以来、8年ぶりとなるエッセイ連載がスタート!

 暗い部屋の片隅ではアロマキャンドルが焚かれていて、その香りが部屋全体にひろがっている。部屋の室温は28℃くらいだろうか。湿度も高く保たれていて湯船に浸かっているかのような安らぎがある。私は聞き手の女性に対して静かに語り始める。

「ゾンビから追われて逃げ込んだ部屋には僕以外に3人の少年がいたんです。数体のゾンビが部屋の扉を開けようとするので、私は両手でドアノブを引いて、全身の体重を使ってなんとか扉を閉めようと試みるんですけど、その扉には鍵が付いていないので、ゾンビの力に負けてたまに扉が開いたりするんですよ。かなり危険な状態だというのに、3人の少年はゲームをしたり、お菓子を食べたり、少年同士で喧嘩したりしていて、私をまったく助けてくれないんです」

 それから、どうなったんだっけ? 聞き手は黙って私の言葉を待っている。

「扉の隙間から歯を剥き出しにしたゾンビが見えているんですね。部屋にゾンビを入れてしまったら、もうそこで終わりなので、なんとか粘らないといけないと思って、自分の力を振り絞って扉を閉めるんですけど、そこで『あれ? ちょっと待てよ。この扉は外開きだよな』と思ったんです。ということは、先頭のゾンビはちゃんとドアノブを引っ張って開けようとしているということになりますよね? かなり賢いゾンビなんですよ。でも、そのわりにはアホみたいに口を開けて、「ガァー、ガァー」と叫んでいるんですよ。おかしいですよね?」

 聞き手の女性は優しく微笑むだけである。

「僕は、『おい! おい!』と3人の少年を必死で呼ぶんですけど、3人は全然私の話を聞いてくれないんです。『包丁持ってきてくれ!』と3人の少年に頼むんですけど、無視されるんです。『包丁を持ってきて、おねがい』と優しく頼んだら1人の少年がゲームから顔を上げてこっちを見てくれたんです。彼なら助けてくれるかもと思って、さらにお願いしたら、その少年はまた俯いてゲームの世界に戻ってしまったんです。なんか裏切られた気持ちになった僕は感情的になってしまって、その少年に、『ゲームなんてやってないで、現実を見ろよ!』と叫んだんです。自分が夢の中にいるのに、『現実を見ろよ!』って叫ぶなんて僕こそアホですよね。もう仕方が無いので、自分の近くに使えそうな武器が無いかなと探してみると、足元にバールのようなものが立て掛けてあったんです。非協力的な少年達に対する怒りが沸点に達していたんで、ドアを急にバンと開けまして、ゾンビの態勢が崩れたところを狙いました。バールでゾンビの頭部を殴ったんです。そしたら、ゾンビが倒れたんです。そのまま背後にいたゾンビも一気にやっつけまして、『えっ? 俺、戦えてるやん』とちょっと感動したんですけど、そんな余裕は無いんですよ。またいつゾンビがやってくるか分からないので。すぐに次のゾンビが来るかもしれない。少年達に、「おまえら状況分かってんのか?」と声を掛けるんですが、少年達は「えっ? 何が?」みたいな呑気な反応なんです」

 聞き手の女性はその話を聞いて少しだけ微笑みを浮かべている。

「そしたらね、街のスピーカーから、『又吉直樹さんは、まもなく相当な危機的な状況に陥ります』というアナウンスが流れるんです。やばいですよね。僕は少年達に、『来るぞ! 準備せぇ!』とか言ってて、普段は声を荒げるようなタイプじゃないんですけど、高校までサッカー部だったので、完全にそのテンションに戻っていましたね。でもね、放送で知らせてくれるということは、これは自然の力で発生したゾンビではなくて、何か大きな力によって意図的に仕掛けられたゾンビの来襲なんだなと理解したんです。僕と3人の少年がゾンビから襲われているところを誰かがモニタリングしている可能性があるってことですよね。『一体、誰がこんなことを!』とつぶやいたところで目が覚めたんです」

 聞き手はの女性は、「変わった夢ですね」と言いながらハーブティーを私の前に差し出した。そして、考えながら静かに語りだした。

「おそらく、そのゾンビというのは、現在の又吉さんが抱えてらっしゃる責任のメタファーなんですね。まぁ簡単に言ってしまうと仕事ですね。次から次へとやってくる仕事のことなんですけど、これは分量の問題ではなく、その一つ一つを脅威に感じているというよりは、又吉さんは自分に課しているものが大きいんじゃないですかね。何か思い当たる仕事あったりますか?」

 私は子供のように頷いている。

「その3人の少年というのが興味深いですね。それは単純に考えると誰も又吉さんを助けてくれないという暗喩のようにも思えるんですけど、そうではなくて、ゾンビが襲ってくる部屋が仮に又吉さんの心の中だと考えてみると、その3人の少年というのは、ご自身の心の中に存在している力のことなんじゃないですかね。もっと、自分はできるはずだという気持ちがあるために、自分自身の中にある可能性に対して、『もっと稼働しろ』と要求してしまう。その少年達ですが、たとえば1人は『知力』、1人は『想像力』、1人は『霊力』といった類の。少しだけゲームから顔を上げてくれた少年はどの力を具現化した姿なんですかね。ゲームをしていたなら想像力でしょうか。想像力に対して、『もっと現実を見ろ!』と叫んだということは、想像力を仕事で活用したいという意識の表れじゃないでしょうか。まずはその少年が味方に付いてくれたら又吉さんの生活も少しは楽になりそうですね」

 聞き手の女性は、「でも気になるのが最後にスピーカーから聞こえてきた声の正体ですね」とつぶやいた。「なんなんでしょう?」と私が質問すると、聞き手の女性は、「何か社会的な抑圧によってご自身の表現が制限されているというフラストレーションがあるのかもしれないですね。もしくは、もっと大きな力に抗いたいという感情と、目の前にある作業が繋がっていないような不安ですかね」と静かに答えた。

「どうしたらいいんでしょうか?」と率直に質問を投げ掛けると、聞き手の女性は、「さぁ、私はただのマッサージ師ですから。体をほぐしていくことしかできません。では、しっかりほぐしていきますね」と優しい声で囁いた。

 女性は聞き手ではなく、マッサージ師だった。

(ここで掲載する原稿は、又吉直樹オフィシャルコミュニティ『月と散文』から抜粋したものです)

<次回は2月の満月の日、6日の公開予定です>

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又吉直樹(またよしなおき)/1980年生まれ。高校卒業後に上京し、吉本興業の養成所・NSCに入学。2003年に綾部祐二とピースを結成。15年に初小説作品『火花』で第153回芥川賞を受賞。17年に『劇場』、19年に『人間』を発表する。そのほか、エッセイ集『東京百景』、自由律俳句集『蕎麦湯が来ない』(せきしろとの共著)などがある。20年6月にYouTubeチャンネル『渦』を開設